東京地方の乾燥注意報が一ヶ月以上継続。いくらなんでも異常だ。(哲




2012ソスN1ソスソス16ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 1612012

 ひとつふたつ持ち寄る憂ひ毛糸編む

                           坂石佳音

所の親しい人たちが、何人かで毛糸を編んでいる。昔はよく見かけた光景だ。みんなの手が動いているのは当然だが、口も動いている。あたりさわりのない四方山話などに興じているうちに、そのうちの誰かが個人的な愚痴を語りはじめたりする。それが引きがねとなって、「そう言えば……」などと別の誰かもあまり愉快ではない話を切り出したりする。傍から見れば長閑にしか見えない編み物の光景だが、そんな座にいる人たちにも、当たり前のことながら悩みもあれば「憂ひ」もあるのだ。その「憂ひ」をそれぞれが持参してきた毛糸玉に掛けて、「持ち寄る」と表現したところが秀逸である。毛糸玉の色彩にはいろいろあるように、むろん各人の「憂ひ」もさまざまである。表現技巧は洒落ているけれど、中身は決して軽くない。アタマだけでは作れない句だ。『続続 へちまのま』(糸瓜俳句会15周年記念誌・2011)所載。(清水哲男)


January 1512012

 冬雲は静に移り街の音

                           高浜年尾

があって、昨年の暮れに2週間ほどパリに滞在していました。緯度が高く、さぞ寒いだろうと思って、完璧な防寒をして向かいました。しかし、行ってみればさほど寒くはなく、あたたかいと言ってもいいような日もありました。その2週間、ほとんどの日が朝から厚い雲に覆われ、青空を仰ぐことが出来たのはたったの数日でした。日本に帰ってまず感じたのは、「なんと明るく日の降り注いでいる冬だろう」ということでした。ですから、本日の句を読んだ時に頭に浮かんだのは、パリで過ごした日々でした。何百年も建ち続けている、胸苦しくなるほどに彫りもので飾られた街の上を、うっとりと見下ろすように雲が動いてゆく。空の「静」と、地上の「音」の対比が、冬の中に鮮やかに並んでいます。視野の大きな、読んでいると自然に、伸びやかな心持になります。『日本大歳時記 冬』(講談社・1981)所載。(松下育男)


January 1412012

 智慧の糸もつるゝ勿かれ大試験

                           京極昭子

試験は、進級試験、卒業試験のことを言い、本来春季なのだが、今は一月第二の土日が大学入試センター試験、本格的な入学試験シーズンの始まりである。そんな時、「花鳥諷詠」(2012年1月号)に、京極杞陽夫人、昭子についての寄稿(田丸千種氏)があり、その中に、母ならではの句、としてこの句が掲載されていた。頑張れ頑張れと、お尻を叩くのでもなく、やみくもに心配するのでもない母。智恵の糸がもつれないように、というこの言葉に惹かれ、春を待たずに書くこととした。時間をかけて頭の中に紡いだ智恵の糸を一本一本たぐり寄せ、それをゆっくりと織ってゆく、考える、とはまさにそういうことだろう。もつれかけても必ずほぐれるから、焦ってはいけない、諦めてはいけない、見切ってはいけない、言葉にすると押しつけがましくもなるあれこれが、こう詠まれるとすっと入る。妻昭子を杞陽は〈妻いつもわれに幼し吹雪く夜も〉と詠んでいるというが、記事の筆者は俳人としての昭子を「豊かな感受性と教養と好奇心をもって特殊な環境をいきいきと自立した心で生きた女性」と評して記事を締めくくっている。ほかに〈暖炉より生れしグリム童話かな 〉〈杞陽忌の熱燗なればなみなみと〉(今井肖子)




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