2012N120句(前日までの二句を含む)

January 2012012

 空井戸に夜をしづめて冬深し

                           中山政彦

校三年生の作品。いわゆる進学有名校の生徒さんだ。載っているのは高校生の俳句コンクールの作品で一人三句出し。この人の他の二句は「月氷るカルテに赤き筆記体」「冬の夜の海のごとくに振子時計」。月氷るの句はなんとなく怖ろしいカルテの雰囲気が出ているし、冬の夜の句はダリの絵のような感じがある。技術も感覚も伝統咀嚼度も三句とも完成度が高いのだ。俳句は老人の文芸であるという言葉があってそれは何も揶揄ばかりの意味ではなくて、加齢とともに見えてくる、或いは齢を加えなければ見えないものがあるという肯定的な言い方でもあるのだが、十八歳のこういう三句をみると我ら「大人」は果たして加齢の効能を俳句にどう積んできたのか恥ずかしくならないか。俳句がなめられてはいけない。我ら六十代、七十代、八十代の高みを見せてやろうではないか、ご同輩。『17音の青春』(2008)所載。(今井 聖)


January 1912012

 鳩であることもたいへん雪催

                           須原和男

和の象徴の鳩もこのごろは嫌われものだ。マンションのベランダや家の軒先に住みつかれたら、糞で真っ白になるし、鳩が媒介して持ってくる病気もあるという。駅のプラットホームをそぞろ歩きする鳩はのんきそうだが、見上げれば鳩が飛びあがって羽を休めそうなところに刺々しい針金がここかしこに張り巡らされている。むかし伝書鳩を飼うブームがあったが、今のドバトはそのなれの果てかもしれない。底冷えのするどんよりとした雪催の空の下、鳩も苦労している。人であることも大変だけど、鳩で在り続けるのも大変だよなぁ、だけど、餌をやったが最後居つかれても困るしなぁ。と、寒そうに肩をすぼめながら鳩を眺める作者の気持ちを推し量ってしまった。『須原和男集』(2011)所収。(三宅やよい)


January 1812012

 冬の海吐き出す顎のごときもの

                           高橋睦郎

つも思うことだけれど、タイもヒラメもシャケも魚はいずれも正面から見ると可愛らしさはなく、むしろ獰猛なつらがまえをしている。目もそうだが、口というか顎にも意外な厳しさが感じられる。アンコウなどはその最たるものだ。掲句の「顎」は魚の顎である。ここでは魚の種類は何でもかまわないだろうが、「冬の海」と「顎」から、私はアンコウを具体的に思い浮かべた。陸揚げされてドタリと置かれた、あの大きい顎から冬の海をドッと吐き出している。獰猛さと愛嬌も感じられる。深海から陸揚げされた魚は、気圧の関係でよく舌を口からはみ出させているが、臓物までも吐き出しそうに思えてくる。もちろんここは春や夏ではなく、「冬の海」でなければならない。「顎のごときもの」がこの句に、ユーモアと怪しさのニュアンスを加えている。睦郎本人は「大魚の顎に違いないが、はっきりそう言いたくない気持があっての曖昧表現」と自解している。原句は「冬の海顎のごときを吐き出しぬ」だったという。下五を「ごときもの」としたことで、「曖昧表現」の効果が強調されて句意が大きくなり、深遠さを増している。それにしても「ごときもの」の使い方は容易ではない、と改めて思い知らされた。睦郎には、他に「髑髏みな舌うしなへり秋の風」という傑作がある。『シリーズ自句自解Iベスト100・高橋睦郎』(2011)所収。(八木忠栄)




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