大寒ですね。ひょっとすると「大乾」になりかねなかった東京地方。(哲




2012ソスN1ソスソス21ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 2112012

 頬杖の風邪かしら淋しいだけかしら

                           池田澄子

しいは、人恋しいということ。会いたいと思う人に会えない、それが淋しいのだ。悲しい、の積極性に比べて、ふと気づくと淋しいのであり、泣いたらすっきりした、とか、時間が経ったら薄まった、ということはなく、むしろ時が経つほど淋しさの度合いが深まることもあるだろう。頬杖には、ため息がついてくる。冬ならば、自分の指先の冷たさを頬に押しあてて、なんとなくぼんやり遠くを見ながら、小さくため息をつく。どこかしんみりしてしまうのは、体調がもひとつなのかな、風邪かしら。ちょっと不調な時、何気なく口にする言葉だが、だけ、はむしろ、風邪なだけ、と自分に言いきかせているようにも思える。句集『拝復』(2011)は、一句一句の文字が等間隔なので、句の長さはまちまちである。まさに手紙のように、一頁の余白から、作者の声が聞こえるような句集であった。(今井肖子)


January 2012012

 空井戸に夜をしづめて冬深し

                           中山政彦

校三年生の作品。いわゆる進学有名校の生徒さんだ。載っているのは高校生の俳句コンクールの作品で一人三句出し。この人の他の二句は「月氷るカルテに赤き筆記体」「冬の夜の海のごとくに振子時計」。月氷るの句はなんとなく怖ろしいカルテの雰囲気が出ているし、冬の夜の句はダリの絵のような感じがある。技術も感覚も伝統咀嚼度も三句とも完成度が高いのだ。俳句は老人の文芸であるという言葉があってそれは何も揶揄ばかりの意味ではなくて、加齢とともに見えてくる、或いは齢を加えなければ見えないものがあるという肯定的な言い方でもあるのだが、十八歳のこういう三句をみると我ら「大人」は果たして加齢の効能を俳句にどう積んできたのか恥ずかしくならないか。俳句がなめられてはいけない。我ら六十代、七十代、八十代の高みを見せてやろうではないか、ご同輩。『17音の青春』(2008)所載。(今井 聖)


January 1912012

 鳩であることもたいへん雪催

                           須原和男

和の象徴の鳩もこのごろは嫌われものだ。マンションのベランダや家の軒先に住みつかれたら、糞で真っ白になるし、鳩が媒介して持ってくる病気もあるという。駅のプラットホームをそぞろ歩きする鳩はのんきそうだが、見上げれば鳩が飛びあがって羽を休めそうなところに刺々しい針金がここかしこに張り巡らされている。むかし伝書鳩を飼うブームがあったが、今のドバトはそのなれの果てかもしれない。底冷えのするどんよりとした雪催の空の下、鳩も苦労している。人であることも大変だけど、鳩で在り続けるのも大変だよなぁ、だけど、餌をやったが最後居つかれても困るしなぁ。と、寒そうに肩をすぼめながら鳩を眺める作者の気持ちを推し量ってしまった。『須原和男集』(2011)所収。(三宅やよい)




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