雪に弱い東京とは知っているが、それにしても事故が多すぎる。(哲




2012ソスN1ソスソス25ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 2512012

 雪降れば佃はふるき江戸の島

                           北條秀司

京にはめったに雪は降らないけれど、それでも一冬に二、三回は降る。10センチも降れば交通が麻痺してしまう。東京は雪に対する備えが不十分だから、大変なことになる。雪国に住んでいた亡くなった母が、突然の雪に難渋してすべって転ぶ東京の人たちをテレビで観て、「バアカめ!」と笑っていたことがある。備えがないのだから仕方がない。それはともかく、雪が降ると都会の過剰な装飾や汚れが隠蔽されて、景色が一変する。高層ビルの街にも、冬らしい風情が加わってホッとさせられる。まして古い時代の風情を残していた頃の佃島に雪が降ったら、「ふるき江戸」に一変したにちがいない。そういう時代に作られた句である。今や佃島にも高層マンションが林立してしまい、とても「江戸」というわけにはいかない。住吉大社に詣でてみると、背景に屏風のようにめぐらされた高層ビル群が、どうしようもなく情緒をぶちこわしている。佃島はもともと名もない小島だった。徳川家康の時代、摂津の佃村から漁父30余名が移住してできた漁村。それでも銀座から近いわりには、まだ古い情緒がいくぶん残っていると言っていいだろう。秀司は「王将」など大劇場演劇の劇作家として第一人者だった。残された俳句は少ないけれど、他に「山門の煤おとしをり雪の上」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


January 2412012

 いつまでも猟犬のゐる柩かな

                           小原啄葉

と人間の交流は1万年から1万5千年前にもさかのぼる。それまで狼と同じように群れを作り、獲物を仲間で追っていた犬が人間の食べ残した動物の骨などをあさるうちに、移動する人間に伴って行動するようになっていったという。現在の溺愛されるペットの姿を見ていると、人間が犬の高度な知能と俊敏な特性を利用したというより、扱いやすい生きものとして犬が人間を選んだように思えてくる。とはいえ、犬と人間の原初の関係は狩の手伝いである。優れた嗅覚と聴覚を持つ犬は人間より早く獲物を発見して追い込み、仕留め、回収することを覚え、また居住空間でも外敵の接近を知らせるという警備の役目もこなした。その律儀なまでの主従関係はハチ公物語などでも周知だが、ことに猟犬となると飼い主を狩りのリーダーとみなし、チームの一員として褒めてもらうことに大きな喜びを得る。掲句は主人が収まる柩から離れようとしない犬の姿である。通夜葬儀とは家族には手配に継ぐ手配であり、その慌ただしさで悲しみもまぎれるというものだが、飼い犬にとっては長い長い指示待ちの時間である。じっと動かぬ主人からの、しかしいつ放たれるか分らない「行け」という言葉を犬はいつまでも待っている。『滾滾』所収。(土肥あき子)


January 2312012

 巻いてもらふ長マフラーの軸となり

                           藤田直子

マフラーで思い出すのは、イギリス映画『マダムと泥棒』(1955)に出てくるアレック・ギネスだ。彼は自称音楽家のふれこみで人の良い老未亡人宅に仲間と下宿するのだが、実は強盗団の首魁である。いつもきちんとスーツを着込み、しかし何故か首に一巻きしただけのマフラーは膝下くらいまでの長さがあり、それをいつもだらりと下げたまま行動している。男だから、まあこんな巻き方でもよいのかもしれないが、女性となるとそうもいくまい。巻くときに鏡があればまだしも、ないときに巻くのはかなり難しいだろう。胸の辺りで上手にまとめようとしても、両端を均一の長さに結ぶのには苦労しそうだ。句では、そんな長マフラーを誰かに結んでもらっている。そうしてもらっているうちに、なんだか自分がマフラーの軸になったようだと言っている。これはおそらく男がネクタイを結んでもらうときの感覚と似ているのだと思う。つまり、主体は巻く側にあるので、巻かれる側はあくまでも巻きやすい姿勢を保持しなければならない。要するに、軸という物体として佇立していないといけないのである。実感から生まれた句。お洒落も大変なのです。『未来図歳時記』(2009)所載。(清水哲男)




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