2012N2句

February 0122012

 夜の雪わらじもぬがで子を思ふ

                           勝 海舟

の降る夜に外出から海舟は帰って来た。離れて暮らす吾子のことをふと思い出し、「しばらく会っていないが、この雪のなかでどうしているだろう?」と、わらじを脱いであがるのも忘れて、そのまま玄関で、しばし吾子のことをあれこれ気にかけている。子を思う親の心である。あるいは、もしかすると吾子のところから今帰って来たばかりで、何かしらフッと気にかかっている、ということなのかもしれない。「わらじもぬがで」だから、よほど強く気にかかることがあったものと思われる。雪降る夜の静けさが、吾子のことをいつになく思い出させてしまったのだろう。親は幾つになっても、何につけ子のことを思うものである。海舟は「政治家や医者とちがって、俳諧は金を捨てて楽しむからいい」と語ったことがあると言われている。俳諧とは本来そういうものだったはずであろう。他に「梅盛り枝は横たて十文字」がある。高橋康雄『風雅のひとびと』(1999)所載。(八木忠栄)


February 0222012

 不景気が普通になりて冬木の芽

                           大部哲也

ブルの頃は都会から遥か離れたところに住んでいたのでお祭り騒ぎのような景気の良さとは無縁だった。それでも仕事が無い、物が売れないといった不平不満を周囲で聞いたことはなかったし、今日より明日、頑張れば給料は増えるといった楽観論が巷にあふれていた。それから二〇数年、不良債権、株価低迷、リーマンショック、欧米危機と、明日にも経済が破綻するかのような脅しをたえず受け続けている気がする。物は溢れているのにこの不安感の正体は何なのだろう。掲句では連続する「ふ」の頭韻が不景気な世の中冬木の芽をうまく照応させている。気象協会の本によると、一日の平均気温が五度から六度を上回ると冬眠をしていた落葉樹の枝先へ水分や養分が運ばれ冬芽が膨らみ始めるという。暦のうえでは立春だけど、世間はずいぶんと長い冬だ。春は来るのだろうか。『遠雷』(2011)所収。(三宅やよい)


February 0322012

 乱反射するや初刷りに核の海

                           古沢太穂

982年の作。元旦の新聞にきらきら光る海の写真が掲載されており、それが「核の海」であると感じている。核の海は核実験の海あるいは崩壊ソ連によって投棄されたとする核弾頭の眠る海さらに広義に原子核つながりでいえば海辺に立つ原発もイメージされる。文学はときに未来を予言する。「今」を読み取り、つづいて来る「未来」を予言するのは作者の思い。読み取るのは読者の感性。そこを避けたところに「普遍性」を見出そうとするのは両者の共同逃避ではないか『捲かるる鴎』(1983)所収。(今井 聖)


February 0422012

 立春の駅天窓の日を降らし

                           寺島ただし

が明けてから特に大寒過ぎてから、いよいよ寒かったこの冬。一年で一番寒い時期とわかってはいるがなかなかつらい。とは言え、先日ある初句会で、年が明けると日差しがやわらかくなる気がする、と口々に。その句会は、ご近所の寺吟行句会なので定点観測、石ひとつの色にしても、日差しが確かに変わっているのが感じられる。掲出句の作者は、大きい駅の天井全体が透明なコンコースにいるのだろうか。あるいは、小さい駅の明かり取りの窓が、足元に光の四角形を作っているのに気づいて、思わず仰いだのだろうか。寒さの中、小さい窓から降る光はいち早く春になっている。「俳句歳時記 春」(2007・角川学芸出版)所載。(今井肖子)


February 0522012

 白梅や墨芳しき鴻臚館

                           与謝蕪村

日から日曜日に担当させていただく小笠原です。よろしくお願い申し上げます。今年の寒さは格別ですね。梅の開花も、もう少し先になるでしょうか。掲句の「鴻臚館(こうろかん)」は、奈良時代に中国や朝鮮の外交使節を接待した社交場で、十数年前に博多でその館跡が発掘されたことを新聞で読んだ覚えがあります。明治時代でいえば鹿鳴館に相当するような鴻臚館を舞台にして、庭には中国由来の白梅が華やいで香り、館の中では墨の香りも芳(かんば)しく漢詩文を揮毫(きごう)する姿があって、新春に異国の人々を歓迎する品のよいにぎわいを感じます。以前、江戸東京博物館で開催された与謝蕪村絵画展を観たとき、さすが池大雅と並び称されたほどの画家であるなあと感心しました。しかし、蕪村の絵は、展示物として足早に観るのではなく、床の間に一季節の間掛け置くことでときに眺め、じんわりなじんでいくものではなかろうかと、今では思っています。そのような心持ちで掲句を読むと、風に揺れる白梅やら、筆を滑らす仕草やら、墨を摺る人、談笑する二人、静止画と思っていた一句が動き始めます。『蕪村俳句集』(岩波文庫・1989)所収。(小笠原高志)

【自己紹介】1959年、北海道釧路生まれ。俳句は、1997年に正津勉主宰の「蛮愚句会」に誘われて、始めました。ふだんは、予備校で小論文を教えています。理想の休日は、渓流で山女魚を釣って尺八を吹き、帰り、神社に立ち寄ることです。家で一番好きなところは台所。


February 0622012

 断りの返事すぐ来て二月かな

                           片山由美子

わず、膝を打った。ただし返事を受け取る側としてではなく、出す側として。この返事は、何か込み入った個人的な事情を含む手紙に対するそれではないだろう。たぶん、何かの会合やパーティなどへの出欠を問うといった程度のものに対する返信なのだ。それがいつもの月と比べて、ずいぶんと返りが早い。そして、その多くが欠席としてあるだけで、付記もない。要するに、にべもない。私も毎月のようにその種の案内状をいただくが、他の季節なら単なる義理筋のそれであっても、どうしようかと考え、考えているうちに返信期日ぎりぎりになってしまうことが多い。が、たしかに二月のいまごろは別だ。あまり考えずに、えいっと投函してしまう。それはたぶん、二月という月の短さや寒さと関連しているようである。今年は閏年だが、やはり二月は短いのでなにかとせわしく感じられ、寒さも寒しということもあって、返事にも気が乗らない。あまりあれこれ斟酌せずに返事を書いてしまうわけだが、このことは返信のみに限ったことではなく、生活のいろいろな場所で顔を出してくる。『日本の歳時記』(2012・小学館)所載。(清水哲男)


February 0722012

 探梅の水に姿を盗られけり

                           水内慶太

のない時代、人は水に姿を映していた。それが確かに自分であるという確信は、ずいぶん心もとないものだったことだろう。しかし、姿を映すことは不吉でもあった。後年の写真がそうであったように、真実を映すとき、魂がそちらに移ってしまうと思われていたからだ。春の兆しを探す足元に水があり、なにげなく通り過ぎた拍子にわが身を見た。あまりにありありと映る水面に、ふと姿を盗まれたと思えたのだろう。青過ぎる空を映しているばかりの水は、そこを通過する何人もの姿を飲み込んできたに違いない。探梅という、ゆかしく訪ねる心が、作者を一層感じやすくしている。「月の匣」(2011年3月号)所載。(土肥あき子)


February 0822012

 かじかむや寄る七星はひくくして

                           棟方志功

い夜の北斗七星が、それぞれ特別に身を寄せ合っているというわけではない。けれども寒さが厳しいから、あたかも身を寄せあっているように感じられるのであろう。しかも空気が澄んでいるから、星がことさら大きく地上にずり落ちそうに、迫っているように低く感じられるというのである。実際、七星は春夏には北斗星よりもずっと高い位置にあるが、秋冬には地平線まで低くずり落ちて、見えにくい位置になっている。板木(志功は「版木」とは呼ばなかった)に、全身這うように顔をこすりつけるようにして描きあげ、彫りあげてゆく志功独特の制作の姿が、この句にかぶさり重なっているようにさえ感じられる。ノミを握る手はかじかんでいるから、いっそうダイナミックに大胆に彫りあげているものと思われる。志功は俳句を二十代で始めたが、原石鼎や石田波郷、永田耕衣たちの作品に触発された美術作品を発表していた。とりわけ前田普羅との付き合いが深かったと言われる。「渦置いて沈む鰻や大月夜」という句などは、志功の絵そのものの力強さを感じさせる。『みんな俳句が好きだった』(2009)所載。(八木忠栄)


February 0922012

 ヒヤシンスしあわせがどうしても要る

                           福田若之

ヤシンスは早春を代表する花。どこか冷たい感じがするのは名前の語感と色と水栽培で育てた経験によるのだろうか。忙しい毎日に心追われる身に「しあわせがどうしても要る」というひたむきなフレーズが痛く感じられる。ひらがなで書かれた「しあわせ」の淡さと対照的に「どうしても」という頑是無い物言いが、格言的フレーズに陥る危険からこの句を掬っている。ヒヤシンスはいくつかある花の候補から恣意的に選ばれた印象だが、下五に置くと語調良く流れすぎるが、上五にあると紫色の小花を集めて凛と直立するヒヤシンスがまずイメージとして浮かび、あとの呟きが自然に滑りだしてゆく。「かもめの両翼あたたかく空に在る」「甲板の風がくすぐったい春だ」みずみずしい感覚が素敵な91年生まれの俳人である。『俳コレ』(2011)所載。(三宅やよい)


February 1022012

 あたたかき老犬と見る火星かな

                           的野雅一

季の句。あたたかきは老犬にかかるから犬の体のあたたかさ、あるいは老犬の人柄?のあたたかさだから春季の暖かとは別。「と」は大いなる主観。老犬が火星をみるわけはないので作者がそう感じているというほどのこと。無季の主観句であるこの句の魅力は老犬と作者と火星の登場する舞台設定。老犬が象徴するのは「命の短さ、尊さ」つまり瞬間。火星が示すのは「永遠」。瞬間と永遠の間に作者が立っている。その設定が魅力なのだ。間に立っていた作者はちょうど二年前の春に早世。今は永遠の側に立っている。『エチュード』(2011)所収。(今井 聖)


February 1122012

 紅梅のほとりに紅の漂へり

                           伊藤柏翠

梅はちらほら、紅梅はこれからというところだろうか。きりりと清しい一輪の白梅の写真が知人から送られてきたのを見て、ああ梅、と思いながら、この時期はあれこれ落ち着かなく近所の梅園にもまだ行っていない。薄紅梅の仄かな夕暮色もいいけれど、濡れたような濃紅梅も愛らしい。二月の青空と濃紅梅、千代紙を思い出させる彩りは鮮やかではあるけれど、くっきりとした白梅と対照的に零れて滲んでいるように見える。ほとり、の一語が、この紅梅の風情を思わせる。あるいは夜、白梅に比べ闇に埋没して目をこらしてもわからない紅梅のその色が、密かに闇にとけ出しているのを感じているのかもしれない。『花の大歳時記』(1990・角川書店)所載。(今井肖子)


February 1222012

 これ以上進まぬ二人蜜柑むく

                           関根優光

滞している二人がいて、二人しかいなくて、言葉も尽きて、目も合わせられず、手もちぶさたにやおら蜜柑を手にとり、男は少しもてあそんでからむき、女はちらりと男を見てから蜜柑をとりむく。もし、この句がこの情景を詠んでいるならば、男に脈がある。がんばれ男。停滞している二人がいて、二人しかいなくて、言葉も尽きて、目も合わせられず、手もちぶさたにやおら蜜柑を手にとり、女は少しもてあそんでからむき、男はちらりと女を見てから蜜柑をとりむく。もし、この句が、この情景を詠んでいるならば、女に脈がある。がんばれ女。けれども、二人、脈絡もなく蜜柑をむいているならば、互いに脈はないのかもしれない。作者関根優光さんは、昨年喜寿を迎えられた俳友で、成蹊高校時代に は同校教諭・中村草田男の薫陶(くんとう)を受けた。掲句は、今年1月21日、「蛮愚句会」で提出された作。よって、「蜜柑」は冬の季語。ご本人云わく、最初は炬燵に執着してしまって、一週間、うんうんうなって出来た句、とのこと。「みかん」という語感はかわいらしく、「蜜柑」という漢語は、ひそやかにあまい。蜜柑は二人を結びつけられるだろうか。二人は蜜柑に導かれることがあるだろうか。私の師匠、赤塚不二夫なら、「それは未完なのだ!」とおっしゃるでしょう。(小笠原高志)


February 1322012

 佐保姫のときどき白き平手打

                           嵯峨根鈴子

保姫(さほひめ)は、秋の竜田姫と対になる春のシンボル。春の野山の造化をつかさどる女神である。いつもおだやかで上品に振る舞っている佐保姫が、何にそんなに怒ったのか、ときに突然平手打ちをくわせるというのだから、びっくりしてしまう。これはつまり、おだやかなはずの春という季節が、ときどき思いがけない悪天候に見舞われるということだ。「白き平手打」というのだから雪、それも激しい雪を暗示しているのだろう。今年の佐保姫はまだ登場したばかりだが、ご乱心にもほどがあると言いたいくらいに、最初から平手打ちの連続である。このぶんでは満開の桜にも雪をもたらしかねない勢いだ。十年か二十年に一度くらいは桜に雪の現象は起きるけれど、佐保姫さま、今年はこのあたりでお怒りを鎮めていただいて、どうかおだやかで温暖な春の日々をお恵みくださいますように。『ファウルボール』(2011)所収。(清水哲男)


February 1422012

 バレンタインデーか中年は傷だらけ

                           稲垣きくの

年とは何歳あたりが該当するのだろうとあれこれ見ていくと、一般的に40代から50代をいうようだ。あれこれのなかには「ミッドライフクライシス(中年の危機)」という言葉も目についた。一途でがむしゃらを許される青年期を越え、ほっとひと息つく頃、老いの兆しらしきものを次々と自覚し始める。「折り返し地点」という言葉に、やり直しの限界に直面していることに気づき焦燥感がつのる。そのせいか、この不安定な時期にいきなり恋に落ちてしまうこともあるようだ。悲哀というには重過ぎるが、それでも年齢を重ねれば、どんな人間でも心の傷も蓄積される。いくつもの傷痕や、まだふさがりきっていない傷をあらためて眺めては、とりあえずため息をついてみたりするが、実のところ、そのうち癒えるものだという経験もまた持ち合わせている。それもまた傷つきながら体得してきたものではあるが、それさえ中年というふてぶてしさに見えて情けなく思う。バレンタインデーなどという「告白の日」のばかばかしさにあきれながらも、その甘さに酔いたいときもある。また傷を増やすとわかっていても、いまだ愛がなにものにもかえがたい力を持つことを信じるのも中年が手放すことのできないロマンだろう。『冬濤』(1976)所収。(土肥あき子)


February 1522012

 大腸の如き路地あり冬銀河

                           長谷邦夫

の「路地」は特定しなくとも、どこの街にもあって猥雑な雰囲気をもった路地を想定してかまわない。でも、作者は「新宿漂流」なるタイトルで詠んだいくつかの俳句がある、と断わっているからこれは新宿にある路地だろう。大腸のようにうねくねとした新宿の路地と言えば、酒場が軒をつらねている界隈ということになろう。すっきりととりすました健やかな界隈ではあるまい。深夜、酔って良い機嫌になった連中が、うるさい声をあげながら路地をうろつきまわっている光景が見えてくる。ふと見あげれば冴えわたる冬空に、銀河がくっきり横たわっている。銀河と路地、どちらもうねっているという対比。邦夫は「少し古い新宿を知っておられる方ならば、多少は感じていただけるか……」と付記し、さらに「これはゴールデン街内にはない店や場所を詠んでいる」と断わっている。とすると、さてどこらあたりか? まあ、新宿にはゴールデン街や柳街、小便横丁に限らず、大腸や小腸のごとき路地はあちらこちらにあった。邦夫は詩人でもあり、赤塚不二夫を支えた漫画家。かつて清水昶の「俳句航海日誌」にも、多くの俳句を書きこんでいた。他に古い新宿を詠んだ句に「永き日や『風月堂』で一茶論」がある。『桜三月散歩道』(2011)所載。(八木忠栄)


February 1622012

 いのうえの気配なくなり猫の恋

                           岡村知昭

だまだ寒いのに猫はとっくに春の訪れを感じ取っているようである。先週ぐらいからあちこちでウンニャー、フニャーと奇怪な鳴き声が聞こえる。それにしても「いのうえ」って誰?なぜひらかなで書かれているのだろう「いのうえ」を手掛かりに句に背景を探そうとしても詮方ない。「お好きにどうぞ」と言った抛りだし方である。それだけに、顔の見えない人物が気になってくる。「いのうえ」は猫にとって警戒を要する人間であるらしい。大事な飼猫に浮かれ猫が近付かないよう監視しているのか、サカリのついた猫を見ると棒を振りあげる危険な人物なのか、ともかくも「いのうえ」の気配がなくなった路地を、塀を猫は小走りに駆け抜け、夜通し鳴き続けることだろう。『俳コレ』(2011)所載。(三宅やよい)


February 1722012

 一草も眠らず朧月夜なり

                           島田葉月

の夜の万象萌え出づるがごときざわめきが聞こえてくる。一草も眠ることがない。これは躁の句だ。ハイテンションそのもの。眠らなくても良ければ人生は二倍生きられる。不夜城という言葉もある。春宵一刻値千金、だから眠らずにいようよという句。不眠不休じゃいやだけど。『闇は青より』(2012)所収。(今井 聖)


February 1822012

 小さくて大きなバレンタインチョコ

                           山本素竹

ョコレートで埋め尽くされていたデパ地下も、やっと平常の落ち着きを取り戻してやれやれ、といったところ。作者は筆者とほぼ同世代なので、現在のバレンタインデー事情とはだいぶ異なっていたのだろうと分かる。義理チョコ、友チョコ、自分チョコ、など少なくとも私の記憶にはない。好きな人にひとつだけ買って渡した覚えはあり、友人が学校では恥ずかしくて渡せず、それでも今日中に渡したいからつき合って、と言われて住所片手にうろうろ家を探した思い出も。携帯電話の無かった昭和四十年代の話だ。そんなあれこれをひょいと思い出させてくれたこの句、単純な言葉の対比が心の中で大きくふくらんで、ほのぼのしつつ、俳句ならではの表現と思う。『百句』(2002)所収。(今井肖子)


February 1922012

 きさらぎの藪にひびける早瀬かな

                           日野草城

月のやわらかな光をうけて、冬に萎(しお)れていた藪(やぶ)も輝いている。藪のむこうからは、早春の雪解け水が足早に流れる音が聞こえてくる。春を告げる音のように。せせらぎはこちらからは見えず、ただ音が聞こえるばかりですが、光をこまやかに反射しながら流れているさまが目に浮かびます。音が光を発生させているような、早瀬の振動が藪に響いて光を拡散させているような、そんな読み方も許されるように思われてきます。現代のメディアアートには、デジタルの特性を活かして、視覚を聴覚化し、聴覚を視覚化する作品が多く発表されています。たとえば、坂本龍一がピアノの鍵盤を叩くとその音に反応して、スクリーン上に線と色彩が鮮やかに映像化される岩井俊雄の作品が有名です。掲句に も、そのような仕掛けが施されているのではないでしょうか。つまり、「ひびける」は、「日日」と「響」の掛け詞なのではなかろうかと。だから、作者・日野草城は「ひびける」をひらがな表記にしたのではないでしょうか。きさらぎ・二月の日の光は、藪の輝きと、雪解け水の音づれをたまわれました。『草城句集(花氷)』(1927)所収。(小笠原高志)


February 2022012

 ちぐはぐな挨拶かはし浅き春

                           藤田久美子

年はいつまでも寒い。私の住む東京三鷹の早朝の気温も、まだ氷点下の日が多い。しかし、日が昇ってきて窓を開けると、光りの具合は日に日に春めいてきている。光りを見る限りでは、もうすっかり春だと言ってもよいだろう。だから今年は、掲句のようなことが起こりがちだ。ゴミを出しに行くとたいてい誰かに会うから挨拶を交わすわけだが、私が光りの様子から「もう春ですねえ」と言うと、先方は寒さに背を丸めながら「今日も寒くなりそうで……」などと返してくる。まさに「ちぐはぐな挨拶」になってしまい、でも、どちらも嘘をついているわけではないので、ときには顔を見合わせて微笑しあったりもする。春浅き日の暮しの一コマを的確にとらえてみせた佳句である。『未来図歳時記』(2009)所載。(清水哲男)


February 2122012

 ねこ葬る地の下深き温みまで

                           笹島正男

月12年間一緒に暮らした飼猫を見送った。借家住まいゆえ、庭に埋めることは叶わず、火葬してペット霊園に納骨するという人間と同じ仰々しさとなった。掲句の「葬る」の読みは語数から「ほうむる」ではなく「はふる」。この「はふる」の語源が「放る」と知り、愛情とともに猫と人間とのあるべき距離が感じられた。野良犬などに掘り返されることのないよう、静かに眠っていられるよう深く深くひたすら掘る。作者の気持ちがおさまるところまで掘り進め、「地の下深き温み」に行き当たる。そして、そっと土に返すのだ。動物霊園事業に関わる法律が制定されたのが昭和45年というから、それ以前はおおかたは飼っているペットが死んだら火葬もせず埋めていた。そのうえ、猫は放し飼いにするのが普通だったので、年を取って家に帰ってこなくなれば、どこか死に場所を見つけに出ていったと言われていたのだ。いまやペットは、家族と同等、ともすれば家族以上の存在で人間に寄り添っていることから、死の受入れ方もまた時代とともに変貌している。それにしても、ペット産業に携わる人々から死んだ猫を「猫ちゃん」と呼ばれることについては、どうにも違和感がつきまとう。明日2月22日は猫の日。近所で猫を見かけるとまだ胸のあたりがきゅんと痛くなる。『髪(かみのけ)座』(2011)所収。(土肥あき子)


February 2222012

 松籟を雪隠で聞く寒さ哉

                           新美南吉

春から二週間あまり経ったけれど、今年の春はまだ暦の上だけのこと。松籟は松を吹いてくる風のことだが、それを寒い雪隠でじっと聞いている。「雪隠」という古い呼び方が、「寒さ」と呼応して一層寒さを厳しく感じさせる。寒いから、ゆっくりそこで落着いて松籟に耳傾けているわけにはゆかないし、この場合「風流」などと言ってはいけないかもしれないけれど、童話作家らしい感性がそこに感じられる。今風のトイレはあれこれの暖房が施されているけれども、古い時代の雪隠はもちろん水洗ではなく、松籟が聞こえてくるくらいだから、便器の下が抜けていていかにも寒々しかった。寺山修司の句「便所より青空見えて啄木忌」を想い出した。南吉は代表作「ごんぎつね」で知られている童話作家だが、俳句は四百句以上、短歌は二百首ほど遺している。また宮澤賢治の「雨ニモマケズ」発見の現場に偶然立ち会っている。他に「手を出せば薔薇ほど白しこの月夜」がある。『みんな俳句が好きだった』(2009)所載。(八木忠栄)


February 2322012

 不健全図書を世に出しあたたかし

                           松本てふこ

あたたか」は春の心地よさがぼーっと感じられる頃で、今年のように厳しい寒さを経た身には、あたたかさを待ち望む気持ちが強くなるようだ。エロ本、マンガ?よく世の中の攻撃の的になる「不健全図書」だけど、その昔、思春期に差しかかった子供たちには誰にも聞けないことを盗み見て裏の世界を知るための指南書のようなものだった。今のようにインターネットもない、親や大人たちはコワイ。面と向かって聞けないことを、年の離れた兄弟がベッドの下にかくしている「不健全図書」をこっそり引っ張り出しては盗み見るスリルを味わっていた。教育的指導を好む大人たちは「不健全図書」が猟奇的な犯罪を招いているお考えかもしれないが、「不健全図書」にお世話になった身としては、そんな単純なものでもないだろうと抗議したい気持ちがある。その意味で不健全図書を作る仕事を「あたたかし」と言ってのける作者の詠みぶりに拍手を送りたい。『俳コレ』(2011)所載。(三宅やよい)


February 2422012

 点滴一架日脚の長くなりしかな

                           石田波郷

い句からは多くの学ぶべきところがある。素朴なつくりに見えて凡句には及びもつかないところがある。点滴一架、まずこれが言えない。点滴瓶(袋)が下げてあって移動できるようになっている装置、これを「一架」で過不足なく言う。すごいなあ。次に大方の俳人なら「日脚伸ぶ」という季語をそのまま当てはめて安易に使いがち。それを「日脚の長くなりし」と言う。これも言えそうで言えない。もうひとつ。凡人は「かな」を名詞に付けて用いることが多いから「なりしかな」の何気なさが出せない。ことに近年の俳句にはこんな懐の深い表現はない。点滴の移動装置の影が見える。デッサンの確かさが「写生」の本意を示している。すんなり作ってあるようでいて創意も工夫も感覚もとてつもなく練られている。『酒中花以後』(1970)所収。(今井 聖)


February 2522012

 蕗の薹見つけし今日はこれでよし

                           細見綾子

の句が好きだという知人がいて、その会話の記憶がある。こういう風に何気ないことに幸せを感じながら、日々を過ごし歳を重ねて行きたい、と言っていたように思う。今回『武蔵野歳時記』(1996)という句文集を読んでいて、再びこの句に出会った。故郷の丹波から、段ボール一杯蕗の薹が送られてきたことなどと共に、この句が書かれていたのだが「これは武蔵野のわが庭での蕗のとう。ただ一つだけ見つけて今日という日のすべてのことがこれでよいと思った」とある。この時の蕗の薹の存在は、何気ない小さな幸せというよりもっと強く、作者の日常の翳りを照らしたのだろう。送られてきた蕗の薹をひとつガラスの器に入れ、食卓に置き眺めていたという作者の、真っ直ぐなまなざしを思い浮かべた。(今井肖子)


February 2622012

 春山に向ひて奏す祝詞かな

                           高野素十

書に「三輪山」とあります。春山は、大和の国一之宮、大神(おおみわ)神社の神体山、三輪山です。神体山とは、山そのものが信仰の対象ということで、富士山を信仰する浅間神社、守屋山を信仰する諏訪大社など各地にみられます。春を迎えた三輪山の神々に向かって、神官たちが祝詞(のりと)を奏(そう)す神事を、作者・高野素十は記念写真を撮影するように手前に神官を置き、向こうに三輪山を配置した構図に収めています。この客観写生は、師・高浜虚子から受け継いだ骨法なのかもしれません。春の語源を「張る」とするならば、芽張り、芽吹く新生に向かって祝詞の言霊(ことだま)が感謝し、応援し、今年もよろしくと、お願いしているようです。二年前の春、一人で三輪山を登りました 。思った以上に勾配がきつく、市街地からほど近い登山口なのに山は深く、神体山ゆえ、道も整備されておらず、通常の山行以上にしんどい道のりでした。神域なのでカメラも飲食も禁止されていますが、それゆえ生態系がそのままの状態で保全されています。掲句から、人の言葉が山の植物に張りをもたらし、春の訪れが人を喜ばせるといった季と人との交感を聴きとれますが、これも遠景と近景を対置した構図のたまものでしょう。大神神社の巫女さんたちの髪飾りが清らげに美しかったことをつけ加えます。『高野素十句集 空』(1993)所収。(小笠原高志)


February 2722012

 泣くにまだ早き河原や二月尽

                           田島風亜

の少女小説には、河原で泣く薄幸の美少女のシーンがよく出てきた。彼女たちが意地悪な継母の迫害に耐えかねたり、行方不明の母恋しさに泣いたりするのは、たいていが河原だった。当時は家の中ではひとりになれる場所がないので、たいていは河原か裏山で泣くというのが、フィクションの世界でなくても普通のことだったのである。ただ掲句の「泣く」は、春愁に触発されたもう少しロマンチックなもので、たとえば啄木の歌「やはらかに柳あおめる北上の岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに」に通じているが、その根はやはりひとりでいられる場所としての「河原」につながっている。春とは名ばかりの寒い二月の、ましてや河原だから、泣くのには似合わない。早すぎる。そんな二月がようやく終わろうとしているいま、これからはひとり泣く場所としての河原が復活してくるぞと、作者はひそかに期待(?)しているのだ。季節の移り変わりを、こんなふうにも詠むことができる。その発想の妙に感心してしまった。『秋風が…』(2011・私家版)所収。(清水哲男)


February 2822012

 囀りの裏山へ向く仏足石

                           松原 南

足石とは、釈迦の足裏の形を刻んだ石である。インドから伝わり、日本では奈良の薬師寺にあるものがもっとも古く、天平勝宝5年(753年)の銘がある。釈迦を象徴するものとして礼拝の対象とされ、比較的方々の寺社に見られるというが、わたしが実際に仏足石を認識したのは俳句を始めてからだった。同行者は皆、さして興味を引くでもなく、石灯籠や五輪塔を見るのと同様の反応だったが、その巨大な造形は寺の庭にあっていかにも風変わりに映った。ひとつひとつの足指には丹念に渦が刻まれ、前日の雨がわずかに溜ったそれは、宮澤賢治の「祭の晩」に出て来る大男の姿が重なるような深々としたあたたかさが感じられた。掲句は大きな仏足石が爪先を揃えて裏山に向けられているという。山は今、若葉が芽吹き、鳥たちの囀りであふれている。やはりうっかり里に下りて、助けられた少年に「薪を百把あとで返すぞ、栗を八斗あとで返すぞ」と言い残し、山へと去っていった金色の目をした男の足跡に思えてならない。〈薄氷を動かしてゐる猫の舌〉〈雫より生れし氷柱の雫かな〉『雫より』(2011)所収。(土肥あき子)


February 2922012

 硯冷えて銭もなき冬の日暮れかな

                           林芙美子

のなかも心のうちも、冷えきっている冬の日暮れである。使われることのない机の上の硯までもが冷えきってしまっていて、救いようがないといった様子。硯の海が干上がって冷えているということは、仕事がなくて心も胃袋も干上がっていることを意味している。けれども、その状態を俳句に詠めたということは、陰々滅々としてどうにも救いようがないという状況とは、ちょっとニュアンスがちがう。いくぶんかの余裕が読みとれる。辻潤は芙美子の詩集『蒼馬を見たり』を「貧乏でもはつらつとしている」と高く評価したが、この句は「銭もなき」ことにくじけてはいない。この句には自注がある。芥川龍之介の作品を読んで、「こんなのがいいのかしらと、私も一つ冷たいぞっとするようなのを書いてみようと、つくって、当分うれしかった」というのである。「こんなのが……冷たいぞっとするような……うれしかった」という言葉に、したたかささえ感じられる。貧乏を詠んだ芙美子らしい句だけれど、どこかしら余裕があるように思われる。19歳のときに初めて俳句を作ったという。「桐の花窓にしぐれて二日酔」「鶯もきき飽きて食ふ麦の飯」などがある。『みんな俳句が好きだった』(2009)所載。(八木忠栄)




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