「春雨じゃ濡れてゆこう」。そんな元気はないけれど、一雨歓迎。(哲




2012ソスN2ソスソス7ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 0722012

 探梅の水に姿を盗られけり

                           水内慶太

のない時代、人は水に姿を映していた。それが確かに自分であるという確信は、ずいぶん心もとないものだったことだろう。しかし、姿を映すことは不吉でもあった。後年の写真がそうであったように、真実を映すとき、魂がそちらに移ってしまうと思われていたからだ。春の兆しを探す足元に水があり、なにげなく通り過ぎた拍子にわが身を見た。あまりにありありと映る水面に、ふと姿を盗まれたと思えたのだろう。青過ぎる空を映しているばかりの水は、そこを通過する何人もの姿を飲み込んできたに違いない。探梅という、ゆかしく訪ねる心が、作者を一層感じやすくしている。「月の匣」(2011年3月号)所載。(土肥あき子)


February 0622012

 断りの返事すぐ来て二月かな

                           片山由美子

わず、膝を打った。ただし返事を受け取る側としてではなく、出す側として。この返事は、何か込み入った個人的な事情を含む手紙に対するそれではないだろう。たぶん、何かの会合やパーティなどへの出欠を問うといった程度のものに対する返信なのだ。それがいつもの月と比べて、ずいぶんと返りが早い。そして、その多くが欠席としてあるだけで、付記もない。要するに、にべもない。私も毎月のようにその種の案内状をいただくが、他の季節なら単なる義理筋のそれであっても、どうしようかと考え、考えているうちに返信期日ぎりぎりになってしまうことが多い。が、たしかに二月のいまごろは別だ。あまり考えずに、えいっと投函してしまう。それはたぶん、二月という月の短さや寒さと関連しているようである。今年は閏年だが、やはり二月は短いのでなにかとせわしく感じられ、寒さも寒しということもあって、返事にも気が乗らない。あまりあれこれ斟酌せずに返事を書いてしまうわけだが、このことは返信のみに限ったことではなく、生活のいろいろな場所で顔を出してくる。『日本の歳時記』(2012・小学館)所載。(清水哲男)


February 0522012

 白梅や墨芳しき鴻臚館

                           与謝蕪村

日から日曜日に担当させていただく小笠原です。よろしくお願い申し上げます。今年の寒さは格別ですね。梅の開花も、もう少し先になるでしょうか。掲句の「鴻臚館(こうろかん)」は、奈良時代に中国や朝鮮の外交使節を接待した社交場で、十数年前に博多でその館跡が発掘されたことを新聞で読んだ覚えがあります。明治時代でいえば鹿鳴館に相当するような鴻臚館を舞台にして、庭には中国由来の白梅が華やいで香り、館の中では墨の香りも芳(かんば)しく漢詩文を揮毫(きごう)する姿があって、新春に異国の人々を歓迎する品のよいにぎわいを感じます。以前、江戸東京博物館で開催された与謝蕪村絵画展を観たとき、さすが池大雅と並び称されたほどの画家であるなあと感心しました。しかし、蕪村の絵は、展示物として足早に観るのではなく、床の間に一季節の間掛け置くことでときに眺め、じんわりなじんでいくものではなかろうかと、今では思っています。そのような心持ちで掲句を読むと、風に揺れる白梅やら、筆を滑らす仕草やら、墨を摺る人、談笑する二人、静止画と思っていた一句が動き始めます。『蕪村俳句集』(岩波文庫・1989)所収。(小笠原高志)

【自己紹介】1959年、北海道釧路生まれ。俳句は、1997年に正津勉主宰の「蛮愚句会」に誘われて、始めました。ふだんは、予備校で小論文を教えています。理想の休日は、渓流で山女魚を釣って尺八を吹き、帰り、神社に立ち寄ることです。家で一番好きなところは台所。




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