祝日と土曜日が重なった。その代り、今月は29日まである。ん?(哲




2012ソスN2ソスソス11ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 1122012

 紅梅のほとりに紅の漂へり

                           伊藤柏翠

梅はちらほら、紅梅はこれからというところだろうか。きりりと清しい一輪の白梅の写真が知人から送られてきたのを見て、ああ梅、と思いながら、この時期はあれこれ落ち着かなく近所の梅園にもまだ行っていない。薄紅梅の仄かな夕暮色もいいけれど、濡れたような濃紅梅も愛らしい。二月の青空と濃紅梅、千代紙を思い出させる彩りは鮮やかではあるけれど、くっきりとした白梅と対照的に零れて滲んでいるように見える。ほとり、の一語が、この紅梅の風情を思わせる。あるいは夜、白梅に比べ闇に埋没して目をこらしてもわからない紅梅のその色が、密かに闇にとけ出しているのを感じているのかもしれない。『花の大歳時記』(1990・角川書店)所載。(今井肖子)


February 1022012

 あたたかき老犬と見る火星かな

                           的野雅一

季の句。あたたかきは老犬にかかるから犬の体のあたたかさ、あるいは老犬の人柄?のあたたかさだから春季の暖かとは別。「と」は大いなる主観。老犬が火星をみるわけはないので作者がそう感じているというほどのこと。無季の主観句であるこの句の魅力は老犬と作者と火星の登場する舞台設定。老犬が象徴するのは「命の短さ、尊さ」つまり瞬間。火星が示すのは「永遠」。瞬間と永遠の間に作者が立っている。その設定が魅力なのだ。間に立っていた作者はちょうど二年前の春に早世。今は永遠の側に立っている。『エチュード』(2011)所収。(今井 聖)


February 0922012

 ヒヤシンスしあわせがどうしても要る

                           福田若之

ヤシンスは早春を代表する花。どこか冷たい感じがするのは名前の語感と色と水栽培で育てた経験によるのだろうか。忙しい毎日に心追われる身に「しあわせがどうしても要る」というひたむきなフレーズが痛く感じられる。ひらがなで書かれた「しあわせ」の淡さと対照的に「どうしても」という頑是無い物言いが、格言的フレーズに陥る危険からこの句を掬っている。ヒヤシンスはいくつかある花の候補から恣意的に選ばれた印象だが、下五に置くと語調良く流れすぎるが、上五にあると紫色の小花を集めて凛と直立するヒヤシンスがまずイメージとして浮かび、あとの呟きが自然に滑りだしてゆく。「かもめの両翼あたたかく空に在る」「甲板の風がくすぐったい春だ」みずみずしい感覚が素敵な91年生まれの俳人である。『俳コレ』(2011)所載。(三宅やよい)




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