東京の今日の日の出は6時32分、日の入りは17時19分。春間近。(哲




2012ソスN2ソスソス12ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 1222012

 これ以上進まぬ二人蜜柑むく

                           関根優光

滞している二人がいて、二人しかいなくて、言葉も尽きて、目も合わせられず、手もちぶさたにやおら蜜柑を手にとり、男は少しもてあそんでからむき、女はちらりと男を見てから蜜柑をとりむく。もし、この句がこの情景を詠んでいるならば、男に脈がある。がんばれ男。停滞している二人がいて、二人しかいなくて、言葉も尽きて、目も合わせられず、手もちぶさたにやおら蜜柑を手にとり、女は少しもてあそんでからむき、男はちらりと女を見てから蜜柑をとりむく。もし、この句が、この情景を詠んでいるならば、女に脈がある。がんばれ女。けれども、二人、脈絡もなく蜜柑をむいているならば、互いに脈はないのかもしれない。作者関根優光さんは、昨年喜寿を迎えられた俳友で、成蹊高校時代に は同校教諭・中村草田男の薫陶(くんとう)を受けた。掲句は、今年1月21日、「蛮愚句会」で提出された作。よって、「蜜柑」は冬の季語。ご本人云わく、最初は炬燵に執着してしまって、一週間、うんうんうなって出来た句、とのこと。「みかん」という語感はかわいらしく、「蜜柑」という漢語は、ひそやかにあまい。蜜柑は二人を結びつけられるだろうか。二人は蜜柑に導かれることがあるだろうか。私の師匠、赤塚不二夫なら、「それは未完なのだ!」とおっしゃるでしょう。(小笠原高志)


February 1122012

 紅梅のほとりに紅の漂へり

                           伊藤柏翠

梅はちらほら、紅梅はこれからというところだろうか。きりりと清しい一輪の白梅の写真が知人から送られてきたのを見て、ああ梅、と思いながら、この時期はあれこれ落ち着かなく近所の梅園にもまだ行っていない。薄紅梅の仄かな夕暮色もいいけれど、濡れたような濃紅梅も愛らしい。二月の青空と濃紅梅、千代紙を思い出させる彩りは鮮やかではあるけれど、くっきりとした白梅と対照的に零れて滲んでいるように見える。ほとり、の一語が、この紅梅の風情を思わせる。あるいは夜、白梅に比べ闇に埋没して目をこらしてもわからない紅梅のその色が、密かに闇にとけ出しているのを感じているのかもしれない。『花の大歳時記』(1990・角川書店)所載。(今井肖子)


February 1022012

 あたたかき老犬と見る火星かな

                           的野雅一

季の句。あたたかきは老犬にかかるから犬の体のあたたかさ、あるいは老犬の人柄?のあたたかさだから春季の暖かとは別。「と」は大いなる主観。老犬が火星をみるわけはないので作者がそう感じているというほどのこと。無季の主観句であるこの句の魅力は老犬と作者と火星の登場する舞台設定。老犬が象徴するのは「命の短さ、尊さ」つまり瞬間。火星が示すのは「永遠」。瞬間と永遠の間に作者が立っている。その設定が魅力なのだ。間に立っていた作者はちょうど二年前の春に早世。今は永遠の側に立っている。『エチュード』(2011)所収。(今井 聖)




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