February 272012
泣くにまだ早き河原や二月尽
田島風亜
昔の少女小説には、河原で泣く薄幸の美少女のシーンがよく出てきた。彼女たちが意地悪な継母の迫害に耐えかねたり、行方不明の母恋しさに泣いたりするのは、たいていが河原だった。当時は家の中ではひとりになれる場所がないので、たいていは河原か裏山で泣くというのが、フィクションの世界でなくても普通のことだったのである。ただ掲句の「泣く」は、春愁に触発されたもう少しロマンチックなもので、たとえば啄木の歌「やはらかに柳あおめる北上の岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに」に通じているが、その根はやはりひとりでいられる場所としての「河原」につながっている。春とは名ばかりの寒い二月の、ましてや河原だから、泣くのには似合わない。早すぎる。そんな二月がようやく終わろうとしているいま、これからはひとり泣く場所としての河原が復活してくるぞと、作者はひそかに期待(?)しているのだ。季節の移り変わりを、こんなふうにも詠むことができる。その発想の妙に感心してしまった。『秋風が…』(2011・私家版)所収。(清水哲男)
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