そうか、閏年だった。閏年には五輪があると、小学校で習った。(哲




2012ソスN2ソスソス28ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 2822012

 囀りの裏山へ向く仏足石

                           松原 南

足石とは、釈迦の足裏の形を刻んだ石である。インドから伝わり、日本では奈良の薬師寺にあるものがもっとも古く、天平勝宝5年(753年)の銘がある。釈迦を象徴するものとして礼拝の対象とされ、比較的方々の寺社に見られるというが、わたしが実際に仏足石を認識したのは俳句を始めてからだった。同行者は皆、さして興味を引くでもなく、石灯籠や五輪塔を見るのと同様の反応だったが、その巨大な造形は寺の庭にあっていかにも風変わりに映った。ひとつひとつの足指には丹念に渦が刻まれ、前日の雨がわずかに溜ったそれは、宮澤賢治の「祭の晩」に出て来る大男の姿が重なるような深々としたあたたかさが感じられた。掲句は大きな仏足石が爪先を揃えて裏山に向けられているという。山は今、若葉が芽吹き、鳥たちの囀りであふれている。やはりうっかり里に下りて、助けられた少年に「薪を百把あとで返すぞ、栗を八斗あとで返すぞ」と言い残し、山へと去っていった金色の目をした男の足跡に思えてならない。〈薄氷を動かしてゐる猫の舌〉〈雫より生れし氷柱の雫かな〉『雫より』(2011)所収。(土肥あき子)


February 2722012

 泣くにまだ早き河原や二月尽

                           田島風亜

の少女小説には、河原で泣く薄幸の美少女のシーンがよく出てきた。彼女たちが意地悪な継母の迫害に耐えかねたり、行方不明の母恋しさに泣いたりするのは、たいていが河原だった。当時は家の中ではひとりになれる場所がないので、たいていは河原か裏山で泣くというのが、フィクションの世界でなくても普通のことだったのである。ただ掲句の「泣く」は、春愁に触発されたもう少しロマンチックなもので、たとえば啄木の歌「やはらかに柳あおめる北上の岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに」に通じているが、その根はやはりひとりでいられる場所としての「河原」につながっている。春とは名ばかりの寒い二月の、ましてや河原だから、泣くのには似合わない。早すぎる。そんな二月がようやく終わろうとしているいま、これからはひとり泣く場所としての河原が復活してくるぞと、作者はひそかに期待(?)しているのだ。季節の移り変わりを、こんなふうにも詠むことができる。その発想の妙に感心してしまった。『秋風が…』(2011・私家版)所収。(清水哲男)


February 2622012

 春山に向ひて奏す祝詞かな

                           高野素十

書に「三輪山」とあります。春山は、大和の国一之宮、大神(おおみわ)神社の神体山、三輪山です。神体山とは、山そのものが信仰の対象ということで、富士山を信仰する浅間神社、守屋山を信仰する諏訪大社など各地にみられます。春を迎えた三輪山の神々に向かって、神官たちが祝詞(のりと)を奏(そう)す神事を、作者・高野素十は記念写真を撮影するように手前に神官を置き、向こうに三輪山を配置した構図に収めています。この客観写生は、師・高浜虚子から受け継いだ骨法なのかもしれません。春の語源を「張る」とするならば、芽張り、芽吹く新生に向かって祝詞の言霊(ことだま)が感謝し、応援し、今年もよろしくと、お願いしているようです。二年前の春、一人で三輪山を登りました 。思った以上に勾配がきつく、市街地からほど近い登山口なのに山は深く、神体山ゆえ、道も整備されておらず、通常の山行以上にしんどい道のりでした。神域なのでカメラも飲食も禁止されていますが、それゆえ生態系がそのままの状態で保全されています。掲句から、人の言葉が山の植物に張りをもたらし、春の訪れが人を喜ばせるといった季と人との交感を聴きとれますが、これも遠景と近景を対置した構図のたまものでしょう。大神神社の巫女さんたちの髪飾りが清らげに美しかったことをつけ加えます。『高野素十句集 空』(1993)所収。(小笠原高志)




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