イスラエル米の首脳会談に注目。イラン問題に動きがありそう。(哲




2012ソスN3ソスソス6ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 0632012

 きつぱりとせぬゆゑ春の雲といふ

                           鈴木貞雄

週は首都圏でも雪が降り、翌日は15度という落ち着かなさも春恒例のことではあるが、年々身体が追いつかなくなる。夏の厳しさも、冬の寒さもさることながら、かつてもっとも過ごしやすいと思っていた春が、一定しない陽気やら花粉やらでもっとも厭わしい季節になっていることにわれながら驚いている。正岡子規が「春雲は絮(わた)の如く」と称したように、春の雲は太い刷毛でそっと刷いたように、あるいはふわふわとしたまろやかさで身軽に空に浮かぶ。見つめていれば半透明になり、端から青空と一体化してしまうような頼りなさに思わず、「雲は雲らしく、もりもりっとせんかい」と檄を飛ばしたくなる心があってこそ、掲句が成り立つのだと思う。青春時代にはおそらく出てこない感情だろう。とはいえ、これこそ春の雲。春の空がうっとりとやわらかくかすんでいるのは、溶け出した雲のかけらを存分に吸い込んでいるからだろう。『森の句集』(2012)所収。(土肥あき子)


March 0532012

 暗室に酸ゆき朧のありて父

                           正木ゆう子

ジカメの普及で、フィルム現像液の「酸ゆき」匂いを知る人も少なくなってきた。昔のカメラ・マニアは、撮影したフィルムを自宅で現像し、自宅でプリントしたものだった。私の父もそんな一人だったので、句意はよくわかる。「暗室」といっても、プロでないかぎりは、どこかの部屋の片隅の空間を利用した。私の父の場合は風呂場を使っていたので、入浴するたびに独特の酸っぱい匂いがしたものだ。戦争中にもかかわらず、私の国民学校入学時の写真が残っているのは、父が風呂場にこもって現像してくれたおかげである。句の「朧」は詠んだ素材の季節を指しているのと同時に、そんな父親の姿を「おぼろげ」に思い出すという意味が重ねられている。それを一言で「酸ゆき朧」と言ったところに、若き正木ゆう子の感受性がきらめいている。昔の写真は、カメラ本体を除いてはみなこうした手仕事の産物だ。おろそかにしては罰が当たる。……というような思いも、だんだんそれこそ「朧」のなかに溶けていってしまうのだろうが。『水晶体』(1986)所収。(清水哲男)


March 0432012

 特急の風が手伝う野焼きかな

                           矢野しげを

月21日、高知市から四万十川に向かう途中、土佐市の水車茶屋という渓流沿いの小さな茶店でうどんをいただいていました。鶏が放し飼いで、メジロが木に挿したみかんをつつきにやってくる、のどかな山あいです。店内には、俳句と短歌の短冊が貼ってあり、「満員の特急列車や雪しまく」「無人駅雪割桜の山近し」(しげを)の句に魅かれ、俳句手帖に書き写していると、茶屋のおかみさんが「お客さん、その俳句作った人、携帯で呼んであげるから」と言ってくださり、矢野しげをさんと出会いました。二十年以上の間、短歌を作られてきた方で、「無人駅に貨車連結の音絶えて引込線にゆれるコスモス」は、かつて、タバコの巻紙に混入する石灰石を輸送するために使用されていた引込線を偲ぶ歌です。 矢野さんは、氏のホームグラウンドであるJR土讃線・吾桑(あそう)駅で吟行中だったところを茶屋のおかみさんに呼び出されたしだいで、掲句は、2012年2月21日午後3時当日、出来たての句です。特急列車が轟音を立て、風切って無人の吾桑駅を通過する。沿線の野焼きは、一瞬、燃え盛る。矢野さんは、もう、六十歳を過ぎたとお見受けしましたが、鉄道を憧憬する心の炎は、少年です。「見ると感動し、感動すると見ます。永く短歌ばかりを作ってきましたが、生きている証を残すために、俳句を始めました。」一枚の短冊が、初めての土地で、初めての人を引き寄せてくれました。吾桑駅までご案内していただき、握手をして別れました。(小笠原高志)




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