今日こそは確定申告を。総額は少ないのに、源泉徴収票の数が。(哲




2012ソスN3ソスソス8ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 0832012

 青き踏む感電防止靴のまま

                           箭内 忍

電防止は帯電防止ともいい、電気工事の作業中にはくためのものらしい。この言葉をネットで検索したところ、神戸の「サヌキ」という靴メーカーの説明書きに行きあたった。「この靴は体内に蓄積される静電気を除去する為のもので、人体の静電気帯電が爆発、火災、電撃のような事故及び災害、又は生産障害の原因となるような作業及び場所で使用されます」自分の身体の中に蓄積された静電気が発火原因になるとはおそろしい。そんな靴を履いて危険な場所で作業している人たちは一刻も気持ちが緩められないだろう。掲句を読んだときには地面から萌え出てくる草の勢いに感電しないように、と想像して読んだので、自分の身体から発生する静電気を除去するための靴というのが意外だった。「青き踏む」に「感電」とくると、萌え出る草にスパークしてしまいそうだけど、それを「防止靴」で打ち消すヒネリが仕込まれている。それが為、この季語が持っている開放的気分とは違った危うさがこの句から感じられるのだろう。『シエスタ』(2008)所収。(三宅やよい)


March 0732012

 男衆の声弾み雪囲い解く

                           入船亭扇辰

囲いは庭の樹木や家屋を雪から守るために、板や木材などでそれらを囲うもの。晩秋の頃の作業である。雪囲いを丹精こめて作ったのに、暖冬で雪が少なくて空振りに終わってしまうなんてことも実際にある。また逆に「長期予報で、雪はたいしたことないらしい」と油断して、逆にえらい目に遭うということもある。雪もグンと減った春先になって雪囲いを解くのだから、作業をする男たちの声は春がようやく到来したという喜びと、これから野良仕事を始められることに対する意気込みとで、テンションはあがっている。掲句からは、その躍動感が十分に伝わってくる。「男衆」という呼び方も聞かれなくなった。扇辰は当方と同じ雪国長岡の出身だから、ここは雪国の春先の実感があって詠んでいる。扇辰の落語の師匠は入船亭扇橋という、本確的な句を詠むことと、淡々とした芸風でよく知られている。落語界では正統派の中堅である扇辰、彼の活躍は今さら言うまでもない。落語家仲間で組むトリオのバンドの公演では、ドラムスを叩きヴォーカルもこなす茶目っ気のある才人。俳句は師匠の影響で始めたが、気の合った仲間と句会を楽しんでいるようだ。掲句については「雪囲い解く」という季語だけで七音、「残り十音で表現するのはむずかしいです。苦しまぎれにひねり出しました」と正直に述懐している。他に「恩師訪ううぐいす餅の五つもて」がある。「新潟日報」(2012.2.8)所載。(八木忠栄)


March 0632012

 きつぱりとせぬゆゑ春の雲といふ

                           鈴木貞雄

週は首都圏でも雪が降り、翌日は15度という落ち着かなさも春恒例のことではあるが、年々身体が追いつかなくなる。夏の厳しさも、冬の寒さもさることながら、かつてもっとも過ごしやすいと思っていた春が、一定しない陽気やら花粉やらでもっとも厭わしい季節になっていることにわれながら驚いている。正岡子規が「春雲は絮(わた)の如く」と称したように、春の雲は太い刷毛でそっと刷いたように、あるいはふわふわとしたまろやかさで身軽に空に浮かぶ。見つめていれば半透明になり、端から青空と一体化してしまうような頼りなさに思わず、「雲は雲らしく、もりもりっとせんかい」と檄を飛ばしたくなる心があってこそ、掲句が成り立つのだと思う。青春時代にはおそらく出てこない感情だろう。とはいえ、これこそ春の雲。春の空がうっとりとやわらかくかすんでいるのは、溶け出した雲のかけらを存分に吸い込んでいるからだろう。『森の句集』(2012)所収。(土肥あき子)




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