春のお彼岸ですね。無宗教だけど、お墓参りには行ってこよう。(哲




2012ソスN3ソスソス18ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 1832012

 鶯のけはひ興りて鳴きにけり

                           中村草田男

の時、草田男は鶯を見ているのでしょうか。見ているならば、じっと観察しながら、鳴き始める前の「けはひ」を注視しているのでしょう。この時、草田男は、鶯を見ていないならば、静かに耳を澄まして鶯の「けはひ」にじっと耳を傾けていたのでしょう。この時、たぶん、世界で最も静かな場所である耳の中では、鶯の鳴き声を受けとめる準備がなされていました。「森の中で鳥が鳴く前には鳴き声の予感がある。」と、指揮者小澤征爾は言います。「楽器を演奏する時には、鳥が鳴く前の兆しから始めなければならない。」と、演奏者たちに指示します。鶯の鳴き声が求愛のそれならば、鳴く前のとまどい、逡巡、ためらいが「けはひ」となって、静かな耳の持ち主ならば、聴きとることができるのかも しれません。数年前、サントリーホールで聴いた小澤征爾のEroicaに、最初の30秒で涙を流しましたが、それも、演奏の前の「けはひ」から、すでに、やられていたのかもしれません。『日本大歳時記 春』(講談社版1982)所載。(小笠原高志)


March 1732012

 サフランの二つ咲けども起きて来ず

                           遠藤梧逸

のサフランはハナサフラン、クロッカスのことだろう、昭和四十七年三月十一日の作。並んで〈シャボン玉ふと影消してしまひけり〉があり、その前書には「発病一時間にして空し」と。あまりにあっけなく逝ってしまった妻、呆然とした喪失感に包まれている作者にとって、クロッカス、というどこか弾んだ響きは、この時の心情にはそぐわなかったのだろう。そして、二つ咲けども、はやはり、二つ、なのであり、一つ、では、時間が感じられず、三つ、では長すぎる。『青木の実』(1981)と題されたこの句集、自筆の句と題字が、少しくすんだ柔らかい緑で、実、の一字だけがしっとりとした赤という、素朴だけれど美しい装丁の一冊である。(今井肖子)


March 1632012

 朝靄に梅は牛乳より濃かりけり

                           川端茅舎

乳はちちと読むのだろう。牛乳の白と比較しているのだから梅は白梅である。二者の比較のみならず朝靄もこれに加わるので三者の白の同系色比較。色の濃さは朝靄、牛乳、梅の順で濃くなる。僕らも日頃装いの配色にこんな計らいをする。思いの開陳。凝視。リズム。象形。比喩等々、表現手法はなんでもありで、その中に色彩対比もある。川端龍子の兄である茅舎は日本画を藤島武二や岸田劉生に学んだ本格派。この色彩構成はさすがという他ない。『華厳』(1939)所収。(今井 聖)




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