今日、外国の銀行に振り込む必要から郵便局に。うまく行くかな。(哲




2012ソスN3ソスソス19ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 1932012

 悲しみの牛車のごとく来たる春

                           大木あまり

学時代からの友人が急逝した。絵の好きな男で、スケッチのために入った山で転倒し、それが致命傷になったらしい。いつだって訃報は悲しいが、春のそれは芽吹き生成の季節だけに、虚を突かれたような思いになる。悲しみが重くのしかかってくるようだ。句の「牛車(ぎっしゃ・ぎゅうしゃ)」は、平安時代に貴族を乗せた乗り物のことだろう。きらびやかな外観は春に似つかわしいが、逆に悲しみの重さを増幅するように、ゆっくりとぎしぎしと人の心に食い入ってくるようだ。最近出た『シリーズ自句自解I ベスト100・大木あまり』に、悲しみから立ち上がれないときには「俳人の木村定生さんが『だらーんとしてればいいんですよ』と言ってくれた」とあった。「水餅のように悲しみに沈んでいれば良いのだ。そのうちそれに疲れて浮かんでくるにちがいない」。なるほどと思い、ひたすら水餅のようでありたいと願う今年の春の私である。『火球』(2001)所収。(清水哲男)


March 1832012

 鶯のけはひ興りて鳴きにけり

                           中村草田男

の時、草田男は鶯を見ているのでしょうか。見ているならば、じっと観察しながら、鳴き始める前の「けはひ」を注視しているのでしょう。この時、草田男は、鶯を見ていないならば、静かに耳を澄まして鶯の「けはひ」にじっと耳を傾けていたのでしょう。この時、たぶん、世界で最も静かな場所である耳の中では、鶯の鳴き声を受けとめる準備がなされていました。「森の中で鳥が鳴く前には鳴き声の予感がある。」と、指揮者小澤征爾は言います。「楽器を演奏する時には、鳥が鳴く前の兆しから始めなければならない。」と、演奏者たちに指示します。鶯の鳴き声が求愛のそれならば、鳴く前のとまどい、逡巡、ためらいが「けはひ」となって、静かな耳の持ち主ならば、聴きとることができるのかも しれません。数年前、サントリーホールで聴いた小澤征爾のEroicaに、最初の30秒で涙を流しましたが、それも、演奏の前の「けはひ」から、すでに、やられていたのかもしれません。『日本大歳時記 春』(講談社版1982)所載。(小笠原高志)


March 1732012

 サフランの二つ咲けども起きて来ず

                           遠藤梧逸

のサフランはハナサフラン、クロッカスのことだろう、昭和四十七年三月十一日の作。並んで〈シャボン玉ふと影消してしまひけり〉があり、その前書には「発病一時間にして空し」と。あまりにあっけなく逝ってしまった妻、呆然とした喪失感に包まれている作者にとって、クロッカス、というどこか弾んだ響きは、この時の心情にはそぐわなかったのだろう。そして、二つ咲けども、はやはり、二つ、なのであり、一つ、では、時間が感じられず、三つ、では長すぎる。『青木の実』(1981)と題されたこの句集、自筆の句と題字が、少しくすんだ柔らかい緑で、実、の一字だけがしっとりとした赤という、素朴だけれど美しい装丁の一冊である。(今井肖子)




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