よく毀れるカウンターですが、積算は裏で正確になされています。(哲




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March 2132012

 春寒やしり尾かれたる干鰈

                           村野四郎

年の冬は例年以上に寒さが厳しかったから、春の到来は遅い。したがって、桜の開花も遅いという予報である。カレイに限らずアジでもメザシでも、魚の干物の尾はもろくていかにもはかない。焼けば焦げて簡単に砕けるか欠け落ちてしまう。(私は焼いた干物のしり尾は、食べる気になれず必ず残す。)掲句の場合のカレイは柳カレイだろうか。ならば尾はいっそうもろい。まだ寒さが残る春の朝、食膳に出されたカレイの干物にじっと視線を奪われながら、食うものと食われるもの両者の存在論を追究している、といった句である。いかにも新即物主義(ノイエ・ザハリヒカイト)の詩人らしい鋭い感性がそこに働いている。上五の「寒:kan」、中七の「かれ:kare」、下五の「鰈:karei」、それぞれの「k音」の連なりにも、どこかまだ寒い響きの感じを読みとることができる。四郎の代表的な詩「さんたんたる鮟鱇」は「顎を むざんに引っかけられ/逆さに吊りさげられた/うすい膜の中の/くったりした死/これは いかなるもののなれの果だ」とうたい出される。干鰈と鮟鱇の見つめ方に、共通したものが感じられないだろうか。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


March 2032012

 白椿亡き子の臍の緒五十年

                           結城蓉子

年、民族学者の友人から仙台にある「冥婚」という風習を聞いた。亡くなった子供が20歳になったとき、あの世で結婚したとする追善供養である。亡くなったのちもなお、わが子が幸せに暮らしてほしいと願う親の心にひたすら胸を打たれる。掲句は白椿という清らかな花を眺めながら、臍の緒が収められている桐の小箱のことに思いを馳せる。指折り数えるまでもなく、もう50年という月日が流れているのだ。いつまでも幼いままの子の顔かたちをそっと胸の奥の小箱を開いて懐かしむ。生きるとは、あらゆることに区切りをつけながら過ごす日々をいうのだろう。暑さ寒さも彼岸まで。一歩一歩ゆっくり春になっていく。『アウシュビッツの風』(2011)所収。(土肥あき子)


March 1932012

 悲しみの牛車のごとく来たる春

                           大木あまり

学時代からの友人が急逝した。絵の好きな男で、スケッチのために入った山で転倒し、それが致命傷になったらしい。いつだって訃報は悲しいが、春のそれは芽吹き生成の季節だけに、虚を突かれたような思いになる。悲しみが重くのしかかってくるようだ。句の「牛車(ぎっしゃ・ぎゅうしゃ)」は、平安時代に貴族を乗せた乗り物のことだろう。きらびやかな外観は春に似つかわしいが、逆に悲しみの重さを増幅するように、ゆっくりとぎしぎしと人の心に食い入ってくるようだ。最近出た『シリーズ自句自解I ベスト100・大木あまり』に、悲しみから立ち上がれないときには「俳人の木村定生さんが『だらーんとしてればいいんですよ』と言ってくれた」とあった。「水餅のように悲しみに沈んでいれば良いのだ。そのうちそれに疲れて浮かんでくるにちがいない」。なるほどと思い、ひたすら水餅のようでありたいと願う今年の春の私である。『火球』(2001)所収。(清水哲男)




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