March 222012
面壁(めんぺき)も二十二年の彼岸かな
大道寺将司
作者は東アジア武装戦線「狼」を結成、三菱重工本社を爆破事件の罪を問われて死刑の宣告を受けた。この句は1997年に作られているので、現在は三十七年獄中に暮らしていることになる。「面壁」とは達磨が9年壁に面して座り続け一言も発しなかったという故事に由来するのだろう。2011年2月に「赤軍派の永田洋子が六十五歳で死亡」という記事を新聞で読み、過ぎ去った一つの時代をつくづく思った。三菱重工の事件が起きたのは1974年。70年安保闘争も下火になり、学生運動が過激になっていった頃だったと思う。作者は死刑の宣告を受けて数十年以上、周囲の人との接触をいっさい断たれ自殺したくなるほど拘禁性の強い独房で過ごしているそうである。孤独な房で、自らの死刑と彼岸の死者と向き合いつつ、大道寺は俳句を作り続けている。「丈高く北と対する辛夷かな」『友へ』(2001)所収。(三宅やよい)
October 212012
風に立つそのコスモスに連帯す
大道寺将司
作者の状況を知ることによって、五七五で書かれた言葉は、きわめて限定された視野から成立していることがわかる場合もあります。作者は「連続企業爆破事件」で1975年に逮捕され、1987年に死刑が確定し、現在、獄中で闘病生活を送っています。今年三月に上梓された句集のあとがきに、「毎年季節の変わり目になると同じような句を詠んでしまいます。直裁的且つ即物的に反応してしまうのです。死刑囚として監獄に拘禁されているため自然に触れる機会が少なく、(略)獄外で過ごした時間が長くはなかったため、かつてなしたこと、見聞したことが季節の変化と結びついて色褪せずに記憶されているからだとも言えるでしょうか。」掲句は2000年の作ですが、コスモスを詠んだ句は他に四句あり、「ひたぶるにコスモス揺れていたりけり」(2002年)「風立ちててんでに戦(そよ)ぐ秋桜(あきざくら)」(2006年)「揺るぎても付きて離れぬ秋桜」(2009年)「右を向き左に靡(なび)く秋桜」(2011年)。東京拘置所は改築されてから窓に目かくしがほどこされたので、記憶の中によみがえるコスモスを断続的に詠むことになるのでしょう。私も作者同様釧路で生まれ育ったので、冷たい潮風に揺れるコスモスの記憶があります。『棺一基 大道寺将司全句集』(2012)所収。(小笠原高志)
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