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2012ソスN3ソスソス26ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 2632012

 あの世めく満開の絵の種袋

                           加藤かな文

春のように花の種を買うけれど、ほとんど蒔いたことがない。ついつい蒔き時を逸してしまうのだ。だから我が家のあちこちには種袋が放ったらかしになっており、思いがけないときに出てきて、いささかうろたえることになる。それでも懲りずに買ってしまうのは、花の咲く様子を想像すると愉しいからだ。しかし、たしかにこの句にあるように、種袋に印刷された満開の絵(写真)は、自然の色合いから遠く離れたものが多い。はっきり言って、毒々しい。農家の子だったから、そんな種袋の誇張した絵には慣れているけれど、そう言われれば、あの世めいて感じられなくもない。種袋の絵のような花ばかりが咲き乱れているさまを思い描くと、美しさを通り越して、あざとすぎる色彩に胸が詰まりそうになる。もしもあの世の花がそんな具合なら、なんとか行かずにすむ手だてはないものかと考えたくなってしまった。「俳句」(2012年4月号)所載。(清水哲男)


March 2532012

 雀来て障子にうごく花の影

                           夏目漱石

、縁側、障子、畳。日本の家屋には、室内に居ながら季を楽しめるしつらえがありました。漱石の小説の主人公たちは、横たわる姿勢で沈黙を保ち、そこに集まる人々の饒舌が物語を進行させていく----という蓮見重彦氏の漱石論がありますが、掲句の漱石も、畳に横臥しながらぼんやり障子をながめていたのかもしれません。ふいに雀がやって来て、桜の小枝にちょこんと乗る。このとき、初めて漱石の目の焦点は花の影をとらえます。雀がうごかした花の影に心をうごかされたのでしょう。漱石が生きた明治時代は、まだ映画産業が成立していませんでしたが、そのかわり、日本家屋に住まう人たちは、障子をスクリーンにして、季ごとの花鳥諷詠を楽しむことができました。アニメーションがなかったこの 時代に、雀が演出するアニメを漱石がほほ笑んだ、そんな俳味を感じます。明治24年の作。当時、東京帝大特待生の24歳。『漱石全集17巻』(岩波書店)所収。(小笠原高志)


March 2432012

 山彦の山を降り来よ蓬餅

                           吉田鴻司

彦は、山の神であり精霊であり妖怪の一種でもあるらしい。確かに、自分の声と分かっていても誰かが答えてくれている気がする。この句の作者は、山を眺めつつ山に親しみ、山彦に、降りておいで、と呼びかけている。自分の子供の頃の山暮らしを振り返っても、春が一番思い出深い。土筆や蓬を摘み、れんげ畑で遊び、すべてが光り出す頃の記憶は、風の匂いとともに鮮明であり、蓬餅の草の香りがまたなつかしさを深くする。そんなことを思いながら読んだ句集のあとがきに「私は山に母を感じるのである」とある。山彦は母の声となって還ってくる、と語る作者だからこそ、降り来よ、がやさしく感じられるのだろう。春の山が微笑んでいる。『吉田鴻司全句集』(2011)所収。(今井肖子)




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