ミサイル発射迎撃、どちらかは失敗する。失敗を避ける道は一つ。(哲




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March 2732012

 街に出てなほ卒業の群解かず

                           福島 胖

業という言葉には、これまでの生き方をまるごと認めて送り出す賞賛の拍手が込められている。叱られてばかりの学生生活でも、締めくくりはかくもおだやかな祝福に包まれる。神妙に揃えていた手足も、頬を伝った涙も、格式張った会場から出ればいつも通りに仲間と軽口を叩き、笑い合うことができる。青春のエネルギーはときとして辟易することもあるが、小鳥のさえずりや、雨上がりの芽吹きのように清々しく頼もしいものだ。このところテレビから繰り返し流れる「友よ、思い出より輝いてる明日を信じよう」(『GIVE ME FIVE!』歌:AKB48/作詞:秋本康)の歌詞の通り、若者は変化する環境に次々と順応できる。歌は「卒業とは出口じゃなく入口」と続く。卒業生たちは、来月にはあらためて新入生、新社員へと名を変える。出口に続く入口の直前まで仲間と群れている様子は、水にインクを落した直後、均一な濃度として溶け込むまでのわずかの間のふるえるような色合いに似る。おおかたの大人は、この無邪気な喜びののちに待つさまざまな苦労や、かつて自分にもあったこんな日を重ね、まぶしいような、切ないような複雑な気持ちになるものだ。そんな視線などものともせず、卒業式を終えた一群は元気に街へと繰り出していく。明日へ向かう躊躇のない一歩に心からのエールを。おめでとう!〈恋をしにゆく老猫を励ましぬ〉〈一人だけ口とがらせて入学す〉『源は富士』(1984)所収。(土肥あき子)


March 2632012

 あの世めく満開の絵の種袋

                           加藤かな文

春のように花の種を買うけれど、ほとんど蒔いたことがない。ついつい蒔き時を逸してしまうのだ。だから我が家のあちこちには種袋が放ったらかしになっており、思いがけないときに出てきて、いささかうろたえることになる。それでも懲りずに買ってしまうのは、花の咲く様子を想像すると愉しいからだ。しかし、たしかにこの句にあるように、種袋に印刷された満開の絵(写真)は、自然の色合いから遠く離れたものが多い。はっきり言って、毒々しい。農家の子だったから、そんな種袋の誇張した絵には慣れているけれど、そう言われれば、あの世めいて感じられなくもない。種袋の絵のような花ばかりが咲き乱れているさまを思い描くと、美しさを通り越して、あざとすぎる色彩に胸が詰まりそうになる。もしもあの世の花がそんな具合なら、なんとか行かずにすむ手だてはないものかと考えたくなってしまった。「俳句」(2012年4月号)所載。(清水哲男)


March 2532012

 雀来て障子にうごく花の影

                           夏目漱石

、縁側、障子、畳。日本の家屋には、室内に居ながら季を楽しめるしつらえがありました。漱石の小説の主人公たちは、横たわる姿勢で沈黙を保ち、そこに集まる人々の饒舌が物語を進行させていく----という蓮見重彦氏の漱石論がありますが、掲句の漱石も、畳に横臥しながらぼんやり障子をながめていたのかもしれません。ふいに雀がやって来て、桜の小枝にちょこんと乗る。このとき、初めて漱石の目の焦点は花の影をとらえます。雀がうごかした花の影に心をうごかされたのでしょう。漱石が生きた明治時代は、まだ映画産業が成立していませんでしたが、そのかわり、日本家屋に住まう人たちは、障子をスクリーンにして、季ごとの花鳥諷詠を楽しむことができました。アニメーションがなかったこの 時代に、雀が演出するアニメを漱石がほほ笑んだ、そんな俳味を感じます。明治24年の作。当時、東京帝大特待生の24歳。『漱石全集17巻』(岩波書店)所収。(小笠原高志)




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