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2012蟷エ4譛1譌・縺ョ句(前日までの二句を含む)

April 0142012

 御仏の切手舐めけり万愚節

                           衣川砂生

、私の机の上には、今年いただいたバレンタインデーのチョコレートの色鮮やかなパッケージが、十数個積み上げられたまま残っています。今日はエイプリルフールですが、これはウソではありません。四月馬鹿、または万愚節。俳句をたしなむ者として、虫歯・肥満・糖尿の原因になりやすいチョコレートよりも、洒落た嘘をいただきたいものです。その点、掲句はお見事です。誰もが切手をなめた経験をもっていて、その現実感を味方につけた虚構です。「御仏」と、仏に敬意を示しながらも切手の裏を「舐め」たことで、仏をナメているんですね。しかもこれは、仏に舌を出して「アッカンベー」をしているさまになっています。どうせ嘘をつくならば、こんなふうに大物相手に、二枚舌を使いたいもの です。なお、私の机上のチョコは、女性社員から大量かつ高価な義理を贈られた経営トップの友人から、土産に頂戴したものでした。『日本大歳時記 春』(講談社版1983)所載。(小笠原高志)


March 3132012

 初蝶と見ればふたつとなりにけり

                           中西夕紀

う目にしているはずなのに、あ、初蝶、という記憶が今年はまだ無い。個人的な事情で、まことに余裕のないこの二ヶ月だったからだろうか。まあ気づいた時が初蝶なのだから、おかしな言い方かもしれないが。でも掲出句のような光景は記憶にある。まさに蝶のひらひらが見えてきて、ああ春が来たな、と感じているのがわかる。まだ寒さの残っている中、元気な蝶に出会うとうれしいものだ。ふたつの蝶は、もつれ合いながらやがて視界から消えてゆき、明るくなってきた日差しの中でゆっくり深呼吸している作者なのだろう。『朝涼』(2011)所収。(今井肖子)


March 3032012

 三月やモナリザを売る石畳

                           秋元不死男

ナリザといっただけであまりにも有名な絵の複製だということがわかる。こんなことすら自分が作るときは臆病になるのだ。絵や複製という説明がなくてもそれとわかるのは石畳や「売る」があるからだ。三月はどうだろう。十月や七月ではだめかな。絶対三月であらねばならないと思う人にはそれなりの理由があるのだろうが、僕は十月でも七月でもいいような気がする。問題は季語がさまざまに取り替えがきくことをもってしてその句の価値が減じるという考え方ではないか。それは俳句というものは季節を詠うものだという目的意識に由来する。この句の上五に入れて価値を減じる季語もあろうが、三月と同じかそれ以上の価値をもたらす季語があるかもしれぬと考えることはこの句の価値を疑うこととイコールではない。『万座』(1967)所収。(今井 聖)




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