第100回余白句会は公開句会です。参加ご希望の方は↑からどうぞ。(哲




2012蟷エ4譛6譌・縺ョ句(前日までの二句を含む)

April 0642012

 畳を歩く雀の足音を知つて居る

                           尾崎放哉

由律の中でも短律といわれる短い文体が得意な放哉のこと。どうしてこの句「畳を歩く雀の足音」としなかったのだろうか。その方が「もの」に語らせて余韻が残るのに。放哉は「知つて居る」までいうことでそういう境涯にある「私」をどうしても言いたかったのだとだんだんわかって来る。しかしそこまで言わなくても上句だけで十分境涯もわかるのにと読者として思い返したりもする。言わずもがなのところをどうして言わないではおられなかったのか。一句を真中に置いての作者との対話は飽きることがない。俳句を読むうれしさを感じる時間である。『大空』(1926)所収。(今井 聖)


April 0542012

 桜咲く間違い探しに来たような

                           くぼえみ

心部でも桜がようやく満開になった。「二つの絵を見比べてください違うところが7か所あります」というのが間違いさがし。空を見上げて、こぼれるほどの桜の枝々を見つめていると、あのときの桜、いつか見た桜がフラッシュバックしてゆく。そうした記憶の桜と眼前の桜を重ね合わせて、自分が間違い探しをしている気持ちになったのだろう。幼い頃、二階の黒い窓枠のそばの桜の枝を見たとき、白っぽい花の一輪一輪がはっきり見えて綺麗と思ったのが記憶初めの桜だった。それからどのくらいの桜を見てきたことか。入学式の桜、送別会の桜、花見の場所取りに行った土手の桜、近所に咲く庭桜。花を見つめる、見上げる、愛でる。毎年決まって、桜を見続けてきた行為は確かに間違い探しに似ているかもしれない。『猫じゃらし』(2010)所収。(三宅やよい)


April 0442012

 春昼や細く脱がれて女靴

                           永井龍男

かにも龍男らしいこまやかな目のつけどころに、感服するほかない。きれいでスマートな女靴が、掃除のゆき届いた玄関にきちんと脱いである。素直な着眼が気持ち良いし、少しもむずかしい句ではない。また、ここは「春昼」がぴったり決まっていて、「細(ほそ)く脱がれて」にさりげないうまさが感じられる。「小さく」ではなく「細く」にリアリティーがある。なかなかこうは詠えない。靴を脱いだ女性の物腰から品格までが、快く想像されるではないか。足ばかりでかくてドタ靴専門の当方などは、身の置きどころに困ってしまう名句である。脱線ついでに……当方がよく見る靴探しの夢がある。何かの集会に参加して、さて、帰る時になって気に入っている自分の靴を探すけれども、脱ぎ捨てられたおびただしい靴のどこをどう探しても見つからず、困り果てているという夢。これ、何のタタリなのか! 同じような夢に悩まされる御仁は、ござらぬか? 龍男の春の句には「あたたかに江の島電車めぐりくる」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)




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