突然の母他界で葬儀の準備。こういうことに慣れるというのも…。(哲




2012蟷エ4譛7譌・縺ョ句(前日までの二句を含む)

April 0742012

 春愁のにはかに本をとぢにけり

                           岩岡中正

は心が浮き立つものなのに、どことなくもの憂くて気が塞いでしまう、なんだかとらえどころのないものだけどわかるような気も、と言われ続けている春愁である。掲出句、にはかに、は、春愁、と、とぢにけり、どちらにかかっているのだろう。春愁のにはかに、であれば、急にもやもやした気持ちになり、ため息とともに本は閉じられる。にはかに本を閉じにけり、であれば、読み出したもののやはり本には集中できず、ぱたりと本は閉じられる。後者の方が、にはかに、がはっきり働いて、もの憂いというより少し切ないような、心が波立つような、そんな春愁を感じさせる。作者二十三歳の句、若き日の恋を思わせる、などと言ったら作者に叱られてしまうかもしれないが。〈囀の声おちてくる膝の上〉〈一片の落花世界を静かにす〉『夏薊』(2011)所収。(今井肖子)


April 0642012

 畳を歩く雀の足音を知つて居る

                           尾崎放哉

由律の中でも短律といわれる短い文体が得意な放哉のこと。どうしてこの句「畳を歩く雀の足音」としなかったのだろうか。その方が「もの」に語らせて余韻が残るのに。放哉は「知つて居る」までいうことでそういう境涯にある「私」をどうしても言いたかったのだとだんだんわかって来る。しかしそこまで言わなくても上句だけで十分境涯もわかるのにと読者として思い返したりもする。言わずもがなのところをどうして言わないではおられなかったのか。一句を真中に置いての作者との対話は飽きることがない。俳句を読むうれしさを感じる時間である。『大空』(1926)所収。(今井 聖)


April 0542012

 桜咲く間違い探しに来たような

                           くぼえみ

心部でも桜がようやく満開になった。「二つの絵を見比べてください違うところが7か所あります」というのが間違いさがし。空を見上げて、こぼれるほどの桜の枝々を見つめていると、あのときの桜、いつか見た桜がフラッシュバックしてゆく。そうした記憶の桜と眼前の桜を重ね合わせて、自分が間違い探しをしている気持ちになったのだろう。幼い頃、二階の黒い窓枠のそばの桜の枝を見たとき、白っぽい花の一輪一輪がはっきり見えて綺麗と思ったのが記憶初めの桜だった。それからどのくらいの桜を見てきたことか。入学式の桜、送別会の桜、花見の場所取りに行った土手の桜、近所に咲く庭桜。花を見つめる、見上げる、愛でる。毎年決まって、桜を見続けてきた行為は確かに間違い探しに似ているかもしれない。『猫じゃらし』(2010)所収。(三宅やよい)




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