立川も変わった。米兵たちが闊歩していたころの面影もない。(哲




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April 1142012

 阿部定も昭和も遠き桜哉

                           間村俊一

きなり阿部定である。いわゆる「猟奇事件」として往時の世間を騒がせた、ご存知の事件である。昭和11年5月、愛欲のはてに情夫石田吉蔵を殺害した阿部定は、五年の刑期を終えて出所して社会復帰した。その調書を読んだことがあるけれど、しっかりした女性だと深く胸を打たれるものがあった。小説やいくつかの映画にもなり、関根弘は『阿部定』という詩集さえ刊行している。さて、掲句はもちろん草田男の「降る雪や明治は遠くなりにけり」が踏まえられている。もはや「明治」ではなく「昭和」であり、「雪」ではなく「桜」である。「阿部定」「昭和」「桜」の取り合わせは、いかにもヴィヴィッドなこの才人らしくて、お見事。俳人諸家は残念ながら、きっとここまで大胆には詠わないだろう。何かにつけて、「昭和が終わった」とか「戦後が終わった」と巷間しばしば言われるが、あの阿部定を持ち出して昭和を遠ざけ、そこに桜をあしらったあたりは、さすが並の装幀家ではない。「桜」が猟奇的な阿部定事件を熱く浄化しているように感じられて、後味はいい。句集の後記に「絵空事めいた句が多くなつてしまふ」とあるが、俳人でないわれらにとって、そこにこそポイントが潜んでいるのではないか。他に「人妻にうしろまへある夕立かな」がある。『鶴の鬱』(2007)所収。(八木忠栄)


April 1042012

 猫の子の目が何か見ておとなしき

                           喜田進次

いたばかりの猫の目は、どんな猫でもみんな濃いブルーである。「キトン(子猫)ブルー」と名付けられる深い青色は一ヶ月ほどかけて薄れ、本来の瞳の色になっていく。虹彩に色素が定着していないことが理由らしいが、この吸い込まれるような青い瞳にはもっとロマンチックなストーリーを重ねたくなる。しきりに鳴き続けた子猫がふとなにかを見つめ静かになったという掲句。『メアリー・ポピンズ』に赤ん坊は日の光、風、樹、小鳥、星のどれもが話しかけてくれた日々を、人間の言葉を覚えるとともに忘れてしまう、とムクドリが嘆く話しがあった。驚きやすい子猫をうっとりとなだめたものは、綾なす春の日差しか、きらめく木漏れ日か、人間の大人には見えないなにかが確かにそこにはあったのだろう。『進次』(2012)所収。(土肥あき子)


April 0942012

 のどけしや母を乗せゆくぽんぽん船

                           松下比奈子

日前に、母が急逝した。翌日に葬儀社の霊安室で対面したが、母は何か物言いたげなようにも見えて、一瞬思わずも目をそらしてしまった。後で弟に聞いたら、亡くなる何日か前には、しきりに私と話したがっていたそうだ。大正五年生まれの母は、いや母ばかりではなくこの世代は、関東大震災と戦争を通過するという災厄にあい、まるで苦労するために生まれてきたような人々である。母に話を限れば、いわゆるレジャーなどとも生涯無縁であり、ひたすらに夫や子供のために働きつづけただけであった。物見遊山の旅行などには、一度も出かけたことはなかった。そんな母だったから、句の「母」と重ね合わすことなどとてもできない。「のどけさ」という季語にも似合わない。しかし、だからこそ、私は母をこの「ぽんぽん船」に乗せてやりたいと思ったのだ。ちょっと困ったような表情の母を乗せて出てゆく「ぽんぽん船」を見送りつつ、そこではじめて私は大声で、「お母さん、ありがとう。ゆっくり休んでください」と言えそうな気がしているのである。『現代俳句歳時記・春』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)




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