政敵を牢屋に閉じこめようとした古色蒼然たる奸計が失敗したのね。(哲




2012ソスN4ソスソス27ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 2742012

 蛇打ちし棒を杖とし世を拗ねる

                           吉田未灰

七までは思念の勝った高踏的な内容を思わしめる。たとえばモーゼのような、ツァラツストラのような、草田男作品のような。下五の「世を拗ねる」であれっと思う。なんだこりゃと思うのだ、最初は。ところが、なんだこりゃどころかこれは作者の風土詠だとやがて気づく。同著に「仁侠の地の木枯や叫ぶごと」もある。上州に生まれその地で営々と地歩を気づいてきた作者の郷土愛と言ってもいい。高倉健さんも唄っている「親の意見を承知で拗ねて曲りくねった六区の風よ」の「拗ねて」と同じ。国定忠治の地元である。フィクションだが木枯し紋次郎も上州。気づいたとたん俄然この句が面白くなった。世を拗ねる俳句なんて初めて見た。『点点』(2012)所収。(今井 聖)


April 2642012

 春の雨街濡れSHELLと紅く濡れ

                           富安風生

を運転しなくなってからガソリンスタンドにとんと縁がなくなった。昔はガソリンの値段に一喜一憂したものだが、車を手放してからはガソリンスタンドがどこにあるのやら、道沿いの看板を気に留めることもない。この句は昭和18年に出された句集『冬霞』に収録されているが、当時は車を持っていること自体、珍しい時代。しかも日米開戦後、英語が敵国語として禁止されていく状況を思うと挟みこまれた英単語にモダンという以上に意味的なものを探ってしまう。しかしそうした背景を抜きにして読んでも春雨とSHELL石油の紅いロゴの配合はとてもお洒落だ。同じ作者の句に「ガソリンの真赤き天馬春の雨」があるが、こちらはガソリンと補足的な言葉が入るだけに説明的で、掲句の取り合わせの良さにはかなわないように思う。SHELL石油がなくなったとしても蕪村の「春雨や小磯の小貝濡るるほど」が遠く響いてくるこの句は長く残っていくのではないだろうか。「日本大歳時記」(1982)所載。(三宅やよい)


April 2542012

 はるさめに昼の廓を通りけり

                           永井荷風

風は花街や廓を舞台にした俳句を、どれくらいの数詠んだのだろうか。掲句は二十代に詠まれたもの。荷風は二十歳から七十四歳になるまで、本格的に俳句を作った(亡くなったのは七十九歳)。静かにしとしとしっとり晩春に降りつづけるのが春雨とされる。月形半平太ではないが、春雨は濡れてもあまり気にならない。どこかしら滝田ゆうの寺島町を舞台にした漫画が想起される俳句だが、若いときの作であるだけに、昼の静けさのなかにも生気がひそんでいるように感じられる。昼の廓だから、夜の喧噪と対照的にまだ寝ぼけていて、路上は信じられないほどにしんと静まり返っているのだろう。おっとりとぼやけた春雨と解釈するか、すべてを洗い流す恨みの春雨と解釈するか――。残念ながら、遅れて来た当方に登楼の経験はないが、花街へやって来る客は、通りからのぞいて冷やかして行くだけ(「ぞめき」と呼ばれた)の客が大半だったという。落語の傑作に「二階ぞめき」という噺がある。惚れた花魁がいるというのではなく、ぞめきが大好きで吉原通いがやめられない大店の若旦那のために、それではとおやじが家の二階に吉原そっくりの街を造った。若旦那がそこ(二階)へ出かけて冷やかして歩くという奇想天外な傑作である。自宅の二階ならば昼も夜もあるまい。荷風には「はる雨に灯ともす船や橋の下」もある。磯辺勝『巨人たちの俳句』(2010)所載。(八木忠栄)




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