「昭和の日」と言うのか。いまだに「天皇誕生日」と思ってしまう。(哲




2012蟷エ4譛29譌・縺ョ句(前日までの二句を含む)

April 2942012

 夏近き吊手拭のそよぎかな

                           内藤鳴雪

近しは夏隣りとともに、そのとおりの晩春の季語です。吊手拭(つりてぬぐい)は今は見かけられなくなりましたが、それでも地方の古い民宿などに泊まると、突き当たりの手洗い横に竹や木製のハンガーにつるされている日本手ぬぐいを見かけます。内藤鳴雪は正岡子規と同郷松山の先輩であり、俳句は子規に教わりました。明治時代は、戸締りも通気もゆるやかで、外の風や香りや虫を拒 むことなく家のなかにとり入れていたのでしょう。「吊手拭のそよぎ」が、外の自然をゆるやかに受けとめていて、現代住宅の洗面所のタオルには全くない風情を伝えています。タオルはタオルという名詞ですが、吊手拭は、「吊り、手を拭う」で、動詞を二つふくめた名詞です。手拭、鉢巻き、風呂敷、前掛けなど、かつて生活の場で使われていた名詞には具体的な行為が示されていて、それが人の体とつながりのある言葉としてやわらかくなじみます。木村伊兵衛の昭和の写真にノスタルジーを感じるのに似て、「吊手拭のそよぎ」という言葉は、明治という時代のゆるやかな風を今に運んでくれています。『日本文学大系95 現代句集』(1973)所載。(小笠原高志)


April 2842012

 行く春の手紙に雨の匂ひなど

                           北川あい沙

時が長かった今年、待ちかねたように緑が湧き出てきたと思えばもう四月も終わり、あと一週間で立夏を迎える。汗ばむ日があるかと思えばひんやりとして、晴天が続かず雨もよく降る暮の春。暮春と行春はほとんど同じだが、行春の方が「多少主観が加はつてゐるやうに思はれる」(虚子編新歳時記)とある。行く、という言葉は、振り返ることのない後ろ姿を思わせ、静かな寂しさを広げるからか。そんな春も終わりの日に受けとった手紙は少し濡れていて、かすかに雨の匂いがしている。濡れた紙の匂いが、遠い記憶のあれこれを呼び起こしているのかもしれない。句集の春の章の終わりに〈うつぶせに眠れば桜蘂の降る〉。『風鈴』(2011)所収。(今井肖子)


April 2742012

 蛇打ちし棒を杖とし世を拗ねる

                           吉田未灰

七までは思念の勝った高踏的な内容を思わしめる。たとえばモーゼのような、ツァラツストラのような、草田男作品のような。下五の「世を拗ねる」であれっと思う。なんだこりゃと思うのだ、最初は。ところが、なんだこりゃどころかこれは作者の風土詠だとやがて気づく。同著に「仁侠の地の木枯や叫ぶごと」もある。上州に生まれその地で営々と地歩を気づいてきた作者の郷土愛と言ってもいい。高倉健さんも唄っている「親の意見を承知で拗ねて曲りくねった六区の風よ」の「拗ねて」と同じ。国定忠治の地元である。フィクションだが木枯し紋次郎も上州。気づいたとたん俄然この句が面白くなった。世を拗ねる俳句なんて初めて見た。『点点』(2012)所収。(今井 聖)




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