四月も今日でおしまいですね。早い早い、脱兎のごとし。(哲




2012蟷エ4譛30譌・縺ョ句(前日までの二句を含む)

April 3042012

 浮き世とや逃げ水に乗る霊柩車

                           原子公平

者、八十歳ころの句。作者自身が最後の句集と記した『夢明り』(2001)に所収。あとがきに、こうある。「『美しく、正しく、面白く』が私の作句のモットーなのである。それもかなり『面白く』に重心が傾いてきているのではないか。現代的な俳諧の創造を目指しているわけだが、極く簡単に言えば、文学的な面白さがなくて何の俳句ぞ、ということになろう」。なるほど、この句はなかなかに「面白い」。いやその前に「美しく、正しい」と言うべきか。霊柩車を見送る作者の胸中には、故人に対する哀悼の意を越えて、これが誰も逃れられない「浮き世」の定めだという一種の諦観がある。それを「逃げ水に乗る」とユーモラスな描写で包んだところに、作者の言う面白さがにじみ出ている。この世から少し浮かびながら逃げていく霊柩車。人は死んではじめて、この世が「浮き世」であることを証明でもするかのように。(清水哲男)


April 2942012

 夏近き吊手拭のそよぎかな

                           内藤鳴雪

近しは夏隣りとともに、そのとおりの晩春の季語です。吊手拭(つりてぬぐい)は今は見かけられなくなりましたが、それでも地方の古い民宿などに泊まると、突き当たりの手洗い横に竹や木製のハンガーにつるされている日本手ぬぐいを見かけます。内藤鳴雪は正岡子規と同郷松山の先輩であり、俳句は子規に教わりました。明治時代は、戸締りも通気もゆるやかで、外の風や香りや虫を拒 むことなく家のなかにとり入れていたのでしょう。「吊手拭のそよぎ」が、外の自然をゆるやかに受けとめていて、現代住宅の洗面所のタオルには全くない風情を伝えています。タオルはタオルという名詞ですが、吊手拭は、「吊り、手を拭う」で、動詞を二つふくめた名詞です。手拭、鉢巻き、風呂敷、前掛けなど、かつて生活の場で使われていた名詞には具体的な行為が示されていて、それが人の体とつながりのある言葉としてやわらかくなじみます。木村伊兵衛の昭和の写真にノスタルジーを感じるのに似て、「吊手拭のそよぎ」という言葉は、明治という時代のゆるやかな風を今に運んでくれています。『日本文学大系95 現代句集』(1973)所載。(小笠原高志)


April 2842012

 行く春の手紙に雨の匂ひなど

                           北川あい沙

時が長かった今年、待ちかねたように緑が湧き出てきたと思えばもう四月も終わり、あと一週間で立夏を迎える。汗ばむ日があるかと思えばひんやりとして、晴天が続かず雨もよく降る暮の春。暮春と行春はほとんど同じだが、行春の方が「多少主観が加はつてゐるやうに思はれる」(虚子編新歳時記)とある。行く、という言葉は、振り返ることのない後ろ姿を思わせ、静かな寂しさを広げるからか。そんな春も終わりの日に受けとった手紙は少し濡れていて、かすかに雨の匂いがしている。濡れた紙の匂いが、遠い記憶のあれこれを呼び起こしているのかもしれない。句集の春の章の終わりに〈うつぶせに眠れば桜蘂の降る〉。『風鈴』(2011)所収。(今井肖子)




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