2012ソスN6ソスソス2ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 0262012

 金魚にはきつと歪んでゐる私

                           火箱ひろ

の世界が歪んで見えることが金魚にストレスを与える、という理由で、金魚鉢で金魚を飼うことを禁止する条例がイタリアで施行、というニュースを目にしたのはずいぶん前のことだ。イタリアにも金魚玉があるんだ、とそれもちょっと意外だったが、当の金魚は、一見ノンストレスな感じで文字通り涼しい顔をしてなめらかにたゆたっている。掲出句、ぼんやりとそのゆらゆらを見るうちに、ふっと思ったのだろう。ちょっとした発見なのだが、歪んでいるのが四方の景色ではなく、私、であることで、作者の視線がはっきりして、金魚との間に通い合うものも感じられる。「子規新報」(2012年4月20日号)には、対象物を個性的にとらえたこの作者の三十句が特集されている、その中の一句。(今井肖子)


June 0162012

 空蝉となるべく脚を定めけり

                           夏井いつき

間にある事物を自分の「知」のはたらきで感じ取り構成していく。俳句の骨法の大きな要素。地球上でこんなに人間が横暴に好き勝手しているのにその面倒にもならずそればかりか人間に「名指し」で妨害されても自分の力で必死に暮らしている鳥や虫たちがいる。雀や燕やカラスをみると胸が熱くなります。虫もそうだなあ。この空蝉も神の造型を感じさせる。『平成俳句選集』(2007)所収。(今井 聖)


May 3152012

 銀座にて銀座なつかしソーダ水

                           井上じろ

正時代から昭和にかけて銀座は流行の最先端の町であった。地方都市の駅前繁華街にはその土地々の名前を冠した銀座が続出したという。そういえば転勤先の山口、鹿児島、愛知それぞれの町の銀座商店街を歩いた覚えがある。本家本元の銀座ではいつ行っても華やかな雰囲気にあふれている。電線のない広い空と石畳の舗道にお洒落な店の数々。だけど、私が知っているのはここ10年ばかり銀座で、古きよき銀座の記憶はない。「銀ブラ」という言葉が消えたように、この町を愛した人には外国のブランド店がずらりと並ぶ銀座には違和感があるかもしれない。ソーダ水には「一生の楽しきころのソーダ水」(富安風生)という名句があるが、昔なつかしいソーダ水を飲みながら、「銀座も変わったものね」と年配の婦人が話している様子を想像してしまった。『東京松山』(2012)所収。(三宅やよい)




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