時の記念日。欧米並みに生活の合理化をと1920年に設定された。(哲




2012ソスN6ソスソス10ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 1062012

 激つ瀬にうつぶし獲たる山女魚かな

                           木村蕪城

女魚(やまめ)は、渓流釣りの憧れです。尾びれ胸びれには切れがあり、斑点と縞の紋様は、他の渓流魚には見られない、あでやかな姿です。塩焼きにして皮ごと食べられる白身は、淡泊な中に味わいが濃厚で、天然の旨みを堪能できます。しかし、これを釣りあげるにはよほどの好条件が重ならなければかないません。まず、習性が敏感なので、足音、人影、気配を出せば、警戒して姿 を消します。したがって、先行する釣り人がいる場合は、沢筋を変えなくてはなりません。おのずと釣り人は、命知らずの沢登りの登攀(とはん)者となり、岩にしがみつき、脆い足場をよじ登り、人跡未踏のポイントを目指します。掲句は、そのような激(たぎ)る川瀬のポイントを見つけて、気配を消し、影をなくして、身をうつ伏しかがめて、一竿で野生の山女魚を獲た、実景実情の句でしょう。上五から中七は、動中静在り、といった釣りの要諦が示されているようです。また、「激つ瀬」は、「tagitsuse」で、母音だけとると「aiue」となり、上から下へ音が流れていますが、「うつぶし」は「utsubushi」で、「uuu」が三音続くことで、うつ伏している体勢の持続を音で表しているように受けとれます。「獲たる 」のあと、最後は「yamamekana」で、音も明るく、喜び、静かに叫んでいます。「日本大歳時記・夏」(1982・講談社)所載。(小笠原高志)


June 0962012

 豚の仔の鼻濡れ茅花流しかな

                           大久保白村

花(つばな)は茅萱(ちがや)の花、流しは湿った南風、ということで初夏、茅花の穂がほぐれる頃に吹く南風が、茅花流し。とは言え、実際に目にした記憶は定かでなかった。それが先週、近郊の住宅街を歩いていたら、ぽっかりと四角い空き地一面の茅花の穂をいっせいになびかせている白い風に遭遇。吹き渡る、という広がりこそなかったが、間近で見た花穂のやわらかい乾きと風の湿りが印象的だった。この句を引いた句集『翠嶺』(1998)には、掲出句と並んで〈黒南風や親豚仔豚身を擦りて〉とある。仔豚の鼻の湿りと茅花の穂のふんわりとした明るさ、肌と肌の擦り合う湿りと梅雨曇りのどんよりとした暗さ、二つの湿りの微妙な違いがそれぞれの風に感じられる。(今井肖子)


June 0862012

 雪よりも白き雲来て雪かくす

                           山口青邨

のう、個人的なことなのですが、勝手ながらこれまでこの欄にはその折の季節に合わせて俳句を取り上げて鑑賞して参りましたが、これからはタイムリーな季節の句に関りなく取り上げていきたいと思います。この句「アルプス行」の前書きあり。この作者の句に感じるのは情緒の安定。感情の揺れをそのまま詩型に叩きつけたりしない落ち着きぶりです。それが大人の風格のようで若い頃は嫌味に見えたのですが、このごろはその魅力も少しわかってきたように思います。感情が安定していると風景もブレない。正面から大きな景に堂々と立ち向かう。横綱相撲というべきか。『現代の俳句』(1993)所載。(今井 聖)




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