今宵は西武ドームで阪神西武戦。たまには打撃戦を見たい。(哲




2012ソスN6ソスソス13ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 1362012

 髪結ふやあやめ景色に向きながら

                           室生犀星

人で「あやめ」と「かきつばた」の違いがわからない人はいないだろう。わからない? 俳人たる資格はないと言っていいかも(当方などはあやしいのだが)。「あやめ」はやや乾燥した山野に生えて、花びらに網模様がある。「かきつばた」は湿地や池沼に自生して、花は濃紫である。まだ暑くはないさわやかな五〜六月頃、縁側か窓辺で女性がおっとり髪を結っているのだろう。あるいは結ってもらっているのかもしれない。前方にはあやめが群生していて、そこを吹きわたってくる風が心地よい。そう言えば、あやめの花の形は女性のある種の髪形のようにも見える。そんな意識も作者にはあったのではないかと推察される。昭和二十八年五月に、犀星は「髪を結ふ景色あやめに向きながら」と詠んだが、五日後に上掲のかたちに改めたという。なるほど「髪を結ふ景色」よりも「あやめ景色」のほうがあやめが強調され、句姿が大きく感じられないだろうか。犀星のあやめの句に「にさんにちむすめあづかりあやめ咲く」もある。『室生犀星句集』(1979)所収。(八木忠栄)


June 1262012

 平家蟹カゲノゴトクツキマトウ

                           小泉八雲

平家蟹
句や短歌など、日本の詩歌を英訳し紹介しつづけた小泉八雲。妻節子の『思い出の記』には「(八雲は)発句を好みまして、沢山覚えていました。これにも少し節をつけて廊下などを歩きながら、歌うように申しました。自分でも作って芭蕉などと常談を云いながら私に聞かせました。どなたが送って下さいましたか『ホトトギス』を毎号頂いて居りました。」という記述がある。そこでしばらく小泉八雲の俳句をあちこち探したが、見つけることはできなかった。実は掲句、小泉八雲の秘稿画本『妖魔詩話』(1934)に収められた八雲の草稿から見つけたものだ。これは天明老人編「狂歌百物語」に収められて狂歌を英訳したものだが、八雲は未発表のまま亡くなり、昭和9年没後にご子息一雄氏が編者となって出版した。平家蟹の項には八雲のペンによって描かれた強面の蟹のスケッチの脇に「カゲノゴトクツキマトウ」とカナで記されている。影の如く付きまとう……。蟹の甲羅に浮かぶおそろしい武士の顔を丹念に写し取るとき、思わず蟹の姿となって、ひいては安息を得られない平家の霊のひとつとなってペン先からこぼれ落ちたつぶやきであろう。はたしてこれを俳句作品として挙げるのは乱暴かもしれないが、八雲の作った俳句のようなもの、として紹介したい。(図版『妖魔詩話』「平家蟹」より)(土肥あき子)


June 1162012

 ひとかなし氷菓に小さき舌出せば

                           嵩 文彦

レビを見ていると、年中誰かが物を食べていて、「うーむ、美味い」などと言っている。かつての飢えの時代を体験した私などは、たまらなくイヤな気持ちになる。「ひと」が物を食べる行為は、いかにテレビがソフィステケートしようとも、本能の根元をさらしているわけだから、決して暢気に楽しめるようなものではない。「ああ、人間は、ものを食べなければ生きて居られないとは、何という不体裁な事でしょう」と言ったのは太宰治だが、現代はそういうことにあまりに無神経過ぎる。棒状の固い氷菓は、まず舌で舐めなければならない。かぶりついても、氷菓は容易に崩れてはくれないからだ。まず舌で舐めるのは、つまり本能が我々にそうするように強いているからそうしているのである。本能の智慧なのだ。私たちは、ほとんど例外なくアイスキャンデーをそうやって食べている。このときに「ひとかなし」と作者がわざわざ言わざるを得ない気持ちを、もしかすると飢餓を知らないひとたちはわからないかもしれない。『ランドルト環に春』(2012)所収。(清水哲男)




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