今年も半分が過ぎ去るのか。言っても仕方ないが「早いなあ」。(哲




2012ソスN6ソスソス30ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 3062012

 日本の水は美し髪洗ふ

                           藤浦昭代

時記に、行水、髪洗ふ、と並んでいるのを見ると、夕風にたらいの風情。髪洗ふ、とは、浴衣を肩が見えるくらい下ろして長い黒髪を洗うのであり、決してシャワーの前で仁王立ちしてはいけない。そう考えると現在は、髪を洗うこと自体には夏の季感は乏しいかもしれないが〈洗ひ髪夜空のごとく美しや〉(上野泰)の句の艶やかな黒髪には、今も体感できる夏の夜風が心地よく吹いている。掲出句、美しい水で洗われている黒髪もまた美しいのだろう。水で洗う、ということは当たり前でありながら、美しい水で髪を洗う、という表現は新鮮であり、日本人は美しく豊かな水に恵まれて暮らしてきたのだ、とあらためて思うと同時に、それを自らの手で脅かしてしまう愚かさを思う。『りんどう』(2012)所収。(今井肖子)


June 2962012

 流れに沿うて歩いてとまる

                           尾崎放哉

々に沿って歩いてきました、または歩いていきました、くらいが大方の詩想。凡庸な作家はここまでだ。「とまる」が言えない。行きにけり、歩きけり、流れけり。みんな流して終る。「春水と行くを止むれば流れ去る」誓子の句の行くの主語は我、流れ去るのは春水。二者の動きを説明した誓子に対して放哉は我の動きを言うだけで水の動きも言外に出している。放哉の方が上だな。『大空』(1926)所収。(今井 聖)


June 2862012

 象の頭に小石のつまる天の川

                           大石雄鬼

の川とは「微光の数億以上の恒星から成り、天球の大円に沿って淡く帯状に見える」ものと広辞苑に解説がある。インドでは象の頭をもった神様は富と繁栄、知恵を授けてくれる幸運の神様という話。象がとても賢い動物からだろう。その象の頭に小石がつまるという発想が面白い。なるほど、ゴツと天辺が飛び出したアフリカ象の頭の恰好は、なるほど小石を詰めた袋のようだ。しかも小石の詰まった頭と夜空に輝く天の川の取り合わせは、象の頭に詰まった小石が弾けて天の川になったかの如く不思議な気分になる。この作者の句は言葉の繋がりかたが独特で屈折した文脈がステレオタイプな季語の見方を少し変えてくれる。「舟虫の化石にならぬため走る」「蛍狩してきし足を抱いて眠る」『現代俳句最前線』(2003)所載。(三宅やよい)




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