昨今の政治状況はファシズムにお出でお出でをしている感じだ。(哲




2012ソスN7ソスソス2ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 0272012

 七月を歩き出さむと塩むすび

                           高木松栄

月に入った。まもなく暑い日々がやってくる。それなりの覚悟を決めて、この月を乗り切らねばならぬ。そのためにはまず、何はともあれ腹ごしらえだと、「塩むすび」を頬ばっている。「塩むすび」とはまた懐かしい響きだが、まだ冷房が普及していなかったころの句だろうか。だとすれば、粗食の時代でもあった。だからこの句は、昔の生活感覚を共有できる読者でないと、理解できないだろう。いまの若い人には、なぜ腹ごしらえなのか、なぜ塩むすびなのかが、観念的にはわかるかもしれないが、生活感覚的に当然だと受けとめることは不可能に近いはずだ。したがって、こういう句は、今後は作られることはないだろう。第一、「塩むすび」に代わり得る食品がない。パンでも駄目だし、ラーメンでも駄目。かつての「塩むすび」のように、それだけで時代のありようを集約できる食べ物は、もうないのである。こんな平凡なことが私たちにとって、そして俳句にとっても、意外に大きな意味を持っていることに、あらためて驚かされる。『現代俳句歳時記・夏』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)


July 0172012

 髪に櫛とほりよき朝夏燕

                           鈴木真砂女

(げん)のいい朝の句です。黒髪の真砂女は、櫛の通りのよさに気分をよくしています。それは体調のよさの表れでもあり、それ以上に、女としての艶のよさを自覚するよろこびでもあるでしょう。銀座で小料理屋を営んでいた女将ですから、朝から仕込みは始まっています。活きのよい肴を出すと同じく、酔客に、粋な自身を差し出す準備。長く、秘めて激しい恋情を抱き続けたこの作者にふさわしい、意地と媚態と潔さをも感じるのは、僭越でしょうか。九鬼周造は、この三位一体の表れが粋であると論じています(『いきの構造』)。ツバメは五月頃に飛来し、カラスやヘビに襲われにくい民家の軒下などに巣を作り、うまく、人の暮らしと共存して卵を産み、子を育て、 七月頃に は旅立ちます。その家づくり、子育ても、そして飛ぶ姿にもスピードがあります。髪に櫛の通りのよさ、夏燕のはやさ。ここに、淀みのない商売の吉兆を占ったのでしょう。「日本大歳時記・夏」(1982・講談社)所載。(小笠原高志)


June 3062012

 日本の水は美し髪洗ふ

                           藤浦昭代

時記に、行水、髪洗ふ、と並んでいるのを見ると、夕風にたらいの風情。髪洗ふ、とは、浴衣を肩が見えるくらい下ろして長い黒髪を洗うのであり、決してシャワーの前で仁王立ちしてはいけない。そう考えると現在は、髪を洗うこと自体には夏の季感は乏しいかもしれないが〈洗ひ髪夜空のごとく美しや〉(上野泰)の句の艶やかな黒髪には、今も体感できる夏の夜風が心地よく吹いている。掲出句、美しい水で洗われている黒髪もまた美しいのだろう。水で洗う、ということは当たり前でありながら、美しい水で髪を洗う、という表現は新鮮であり、日本人は美しく豊かな水に恵まれて暮らしてきたのだ、とあらためて思うと同時に、それを自らの手で脅かしてしまう愚かさを思う。『りんどう』(2012)所収。(今井肖子)




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