Nj句

July 0272012

 七月を歩き出さむと塩むすび

                           高木松栄

月に入った。まもなく暑い日々がやってくる。それなりの覚悟を決めて、この月を乗り切らねばならぬ。そのためにはまず、何はともあれ腹ごしらえだと、「塩むすび」を頬ばっている。「塩むすび」とはまた懐かしい響きだが、まだ冷房が普及していなかったころの句だろうか。だとすれば、粗食の時代でもあった。だからこの句は、昔の生活感覚を共有できる読者でないと、理解できないだろう。いまの若い人には、なぜ腹ごしらえなのか、なぜ塩むすびなのかが、観念的にはわかるかもしれないが、生活感覚的に当然だと受けとめることは不可能に近いはずだ。したがって、こういう句は、今後は作られることはないだろう。第一、「塩むすび」に代わり得る食品がない。パンでも駄目だし、ラーメンでも駄目。かつての「塩むすび」のように、それだけで時代のありようを集約できる食べ物は、もうないのである。こんな平凡なことが私たちにとって、そして俳句にとっても、意外に大きな意味を持っていることに、あらためて驚かされる。『現代俳句歳時記・夏』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)


July 0972012

 冷し中華普通に旨しまだ純情

                           大迫弘昭

どものころならいざ知らず、大人になれば、日常の食事にいちいち旨いとか不味いとか反応しなくなってくる。なんとなく食べ終わり、味覚による感想はほとんど湧いてこない。それが「普通」だろう。作者はとくに好物でもない冷し中華を空腹を満たすためにたまたま食べたのだが、食べ終えたときに「普通に旨し」と、しごく素直な感想が浮かんだのだった。そして、こんな感想が自然に浮かんできたことに、作者はちょっぴり驚いたのである。すれっからしの中年男くらいに思っていた自分にも、まだこんな一面が残っていたのか。声高に他人に告げることでもないけれど、ふっと浮かんだ小さい食事の感想に、眠っていた自分の「純情」に思いがけなくも向き合わされたわけで、作者が戸惑いつつも自己納得した一瞬である。わかりにくい句だが、読み捨てにはできない魅力を覚えた。人は誰にも、自分にも思いがけないこうした「純情」がかくされてあるのではあるまいか。『恋々』(2011)所収。(清水哲男)


July 1672012

 川床に来て氷金時などいふな

                           松村武雄

都には六年住んだが、「川床(ゆか)」には一度も縁がなかった。どだい学生風情が上がれるような気安いところではなかったから、毎夏鴨川の道端からそのにぎわいを遠望するだけで、あそこには別の人種がいるんだくらいに思っていた。たまさかそんな川床に招かれた作者は、京情緒を満喫すべく、しかもいささか緊張気味に坐っている。で、料理の注文をとなったときに、同席の誰かが大きな声で「氷金時」と言ったのだ。たぶん、そういう場所で遊び慣れた人なのだろう。が、緊張気味の作者にしてみれば、せっかくの心持ちが台無しである。こんなところに来てまで、どこにでもあるような氷菓を注文したりするなよと、顔で笑って心で泣いての心境だ。めったに行けない店にいる喜びがぶち壊されたようで、むらむらと怒りもわいてきた。わかるなあ、この気持ち。最近はスターバックスの川床もできているそうだから、もはや若い人にこの句の真意は伝わらないかもしれない。でもねえ、せっかくの川床で、アメリカンなんてのは、どうなのかなあ。なお余談だが、作者は詩人北村太郎(本名・松村文雄)の実弟。一卵性双生児だった。『雪間以後』(2003)所収。(清水哲男)

{違ったかな}「氷金時」を注文したのは、連れて行った子どもだったのかもしれませんね。そのほうが素直な解釈に思えてきました。うーむ。


July 2372012

 鶏舎なる首六百の暑さかな

                           佐々木敏光

百羽もの鶏が鶏舎から首を出して、いっせいに餌を食べている図だ。想像しただけで暑さも暑しである。私が子どもだったころには、こういう光景は見られなかった。そのころはどこでも「平飼い」であり、句のような立体的な鶏舎で飼う方式(バタリー方式)に移行したのは50年代も後半からだったと記憶する。父が購読していた「養鶏の友」などという雑誌で、盛んにバタリー方式が推奨されていたことは知っていたが、まさか平飼いが消滅するとは夢想だにしなかった。この方式では、雌鳥を完全に卵を産む機械とみなしている。一羽あたりの生息面積はA4判くらいしかなく、夜も照明を当てられて産まない自由は奪われている。私のころの夏休みといえば鶏の世話は子どもの役目で、夕暮れどきに散らばっている鶏たちを鶏舎に追い込む苦労も、いまとなっては楽しい思い出だ。鶏は頭がよくないという説もあるが、あれでなかなか個性的であり、一羽一羽に情がうつったものである。が、バタリー方式になってしまっては、そうした交流もかなわない。ただただ暑苦しいだけ……。ヨーロッパあたりでは、この残酷な飼い方を見直す動きが出ていると聞く。『富士・まぼろしの鷹』(2012)所収。(清水哲男)


July 3072012

 人文字を練習中の日射病

                           山本紫黄

射病という言葉だけは子どもの頃から知っていたが、本当に日射病で倒れる人がいることを知ったのは、高校生になってからだった。朝礼の時間に、ときどき女生徒がうずくまったりして「走り寄りしは女教師や日射病」(森田峠)ということになった。ちょうどそういう年頃だったせいなのだろうが、太陽の力は凄いんだなと、妙な関心の仕方をしたのを覚えている。甲子園のスタンドなどでよく見かける「人文字」は、一糸乱れぬ連携が要求されるから、たった一人の動きがおかしくても、全体が崩れてしまう。つまり、日射病にやられた生徒がいれば、遠目からはすぐにわかるわけだ。作者には練習中だったのがまだしもという思いと、本番に向けて留意すべき事柄がまた一つ増えた思いとが交錯している。似たような光景を私は、甲子園の開会式本番で目撃したことがある。入場行進につづいて選手が整列しおわったときに、最前列に並んだ某高校のプラカードが突然ぐらりと大きく傾いた。すぐさま係員が飛んできて別の生徒と交代させたのだが、暑さと緊張ゆえのアクシデントだった。たしか荒木大輔が出場した年だったと思うが、あのとき倒れた女生徒は、毎夏どんな思いで甲子園大会を迎えているのだろうか。『現代俳句歳時記・夏』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)


August 0682012

 髪洗ふ背骨だいじと思ひけり

                           長戸幸江

齢を重ねてくると、いつしか嫌でも自分の身体の劣化に気づくようになる。昔の人は、劣化はまず「歯」にあらわれ、次に「目」にくると言った。私もその順番だった。そうなってくると、まだ現象としてあらわれてはいなくても、身体のあちこちの部位が心配になってくる。このときの句の作者の年齢は知らないが、髪を洗っているときに、うつむき加減の身体を支えている「背骨」の大切さを、身にしみて理解している。若いときには、思いもしなかった身体観が出てきたのだ。そしてだんだんこうした認識は、多くの立ち居振る舞いごとに浮かんでくるようになる。それが老人の性(さが)なのであり、仕方のないことだけれども、こうしてそのことを句として掲げられてみると、あらためて自分の身体にそくして同感している自分に気がつかされる。そしてこの認識は、次のような句にもごく自然に及んでいくのだ。「夏野原少女腕を太くせよ」。『水の町』(2012)所収。(清水哲男)


August 1382012

 画集見る少女さやかに遠ち見たる

                           伍藤暉之

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こからか『ゴンドラの唄』(吉井勇作詞)でも聞こえてきそうな句だ。あからさまに告白はしていないが、少年が少女に惹かれた一瞬を詠んでいる。画集に見入っていた少女が、ふと顔を上げて遠く(遠ち<おち>)を見やった。ただそれだけの情景であり、当の少女には無意識の仕種なのだが、そんな何気ない一瞬に惹かれてしまう少年の性とは何だろうか。掲載された句集の夏の部に<姉が送る団扇の風は「それいゆ」調>とあったので、私には句の少女の顔までが浮かんできた。戦後まもなく女性誌「それいゆ」を発行した画家の中原淳一が、ティーン版の「ジュニアそれいゆ」に描きつづけた少女の顔である。これらの少女の顔の特徴は、瞳の焦点が微妙に合っていないところだ。こう指摘したのは漫画家の池田理代子で、「微妙にずれていることによって、どこを見ているのかわからないような神秘的な魅力。瞳の下に更に白目が残っていて、これは遠くを見ている目だ。瞳が人間の心を捉えるという法則をよくご存知だったのではないか」と述べている。つまり句の作者もまたおそらくは「焦点のずれ」に引き込まれているわけだ。少女に言わせれば「誤解」もはなはだしいということになるのだろうが、こうした誤解があってこその人生ではないか。誤解バンザイである。『PAISA』(2012)所収。(清水哲男)


August 2082012

 いつとなく庇はるる身の晩夏かな

                           恩田秀子

惜しいが、私の実感でもある。若い人が読めば、甘っちょろい句と受け取るかもしれない。新味のない通俗句くらいに思う若者が多いだろう。だが、この通俗が老人にはひどくこたえる。「庇(かば)はるる身」はこれから先、修復されることが絶対に無いという自覚において、苦さも苦しなのである。「晩夏」は人生の「晩年」にも通じ、盛りの過ぎた「身」を引きずりながら、なお秋から冬へと生きていかざるを得ない。そういえば、いつごろから「庇はるる身」になったのだろうかと、作者は自問し心底苦笑している。自戒しておけば、庇われることは止むを得ないにしても、慣れっこになってはいけない。庇われて当然というような顔をした老人をたまに見かけるが、あれはどうにもこうにも下品でいけません。『白露句集』(2012)所載。(清水哲男)


August 2782012

 人人よ旱つづきの屋根屋根よ

                           池田澄子

いかわらずの旱(ひでり)つづきで、げんなりしている。冷房無しのせいあるが、団扇片手に昼寝をきめこんでもあまり眠れず、なんだか「ただ生きているだけ」みたいな感じだ。この句は、みんながまだ冷房の恩恵に浴していなかった昔の情景を思い起こさせる。小津安二郎が好んで描いた東京の住宅街は、まさにこんなふうであった。ビルもそんなにはなく、「屋根屋根」は平屋か二階建ての瓦屋根だ。それらが夏の日差しのなかにあると、嫌でも脂ぎったような発色となり、ますます暑い気分が高じてくる。白昼ともなれば、往来には人の影もまばらだ。「人人」はいったいどうしているのかと、ついそんなことが気になってしまうのだった。それでもどこの「家家」の窓も開いているから、ときおりどこからかラジオの音が流れてきたりする。ああ「人人」は健在だなと、ほっとしたりしたのも懐かしい。『たましいの話』(2005)所収。(清水哲男)


September 0392012

 蓑虫の揺れぬ不安に首を出す

                           大島雄作

田弘子に「貌出して蓑虫も空見たからう」がある。毎日朝から晩まで木の枝からぶらさがって、しかも真っ暗な巣の中にこもりきりとあっては、誰もがついそんな思いにかられてしまう。しかし考えてみれば、当の蓑虫にとっては大きなお世話なのであり、放っておいてくれとでも言いたくなるところだろう。真っ暗なところで、ぶら下がっているのがいちばん快適なのだ。うっかり空なんぞを見ようと首を出したら、命に関わる。ならば、たとえ命に関わっても、蓑虫が首を出そうとするときは、どういうときなのか。それはまさに命に関わる事態になったときだと、いやでも判断せざるを得ない「こういうときだ」と、掲句は言っている。いつもは風に揺れている巣が、ぴくりとも動かなくなった。こいつは一大事だ、表はどうなっているのかと不安にかられて、命がけで首を出したのである。先の句は人間と同じように蓑虫をとらえた結果であり、後者は人間とは違う種としての蓑虫をとらえている。前者の作者の方が無邪気に優しい分だけ、残酷を強いていると言って良いのかもしれない。『大島雄作句集』(2012)所収。(清水哲男)


September 1092012

 数珠玉やかごめの鬼が嫁にゆく

                           高橋酔月

の便りに、幼なじみの女の子が結婚すると聞いたのだろう。子どもの頃は毎日のように一緒に遊んでいても、女の子たちとはいつしか疎遠になり、やがては面影すらも定かではなくなったりする。それが何かの拍子に消息を聞くことがあると、急に懐かしくなって記憶の糸をたどることになる。どんな子だったっけ。この子の場合には「かごめ遊び」の記憶がよみがえってきた。「かごめ、かごめ、籠の中の鳥は、いついつ出やる。夜明けの晩に、鶴と亀が滑った。後ろの正面、だあれ?」というあれだ。そして思い出してみれば、この子の役割はいつも「鬼」だったような……。つまり、あまり機転の利かない子、はしこく無い子で、覚えているのは輪の真ん中でかがんで両目を押さえている姿ばかりだ。その彼女が嫁に行くという。成人し様子は知る由もないけれど、結婚するのだから、もはや昔の彼女ではありえない。当人だって、もうかごめの鬼のことなど忘れているだろう。他人事ながら「良かったなあ」と、作者は微笑している。「サチオオカレ」と祈っている。「数珠玉」も当時の遊び道具だったが、ちょっとだけ作者の祈りも籠められているようだ。『現代俳句歳時記・秋』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)


September 1792012

 引越の箪笥が触るる秋の雲

                           嘴 朋子

屋の構造にもよるけれど、箪笥(たんす)はたいていが、あまり日の当たらない部屋の奥などに置かれている。それが引越しともなると、いきなり白日の下に引き出されて、それだけでもどこか新鮮な感じを受ける。句の箪笥はしかも、たぶんトラックの荷台に乗せられているのだろう。日常的にはそんなに高い位置の箪笥を見ることはないので、ますます箪笥の存在感が極まって見えてくる。その様子を作者は、秋雲に触れている(ようだ)と捉えたわけだが、この表現もまた、箪笥の輪郭をよりいっそう際立たせていて納得できる。その昔、若き日のポランスキーが撮った『タンスと二人の男』という短編映画があった。ストーリーらしきストーリーもない映画で、二人の男がタンスをかついで海岸や街中をうろうろするというだけのものだった。ふだんは家の奥に鎮座しているものが表に出てくるだけで、はっとするような刺激を与えるという意味では、掲句も同じである。なんでもない引越し風景も、見る人によってはかくのごとき感覚で味わうことができるのだ。あやかりたい。『象の耳』(2012)所収。(清水哲男)


September 2492012

 駆け出しと二人の支局秋刀魚焼く

                           小田道知

聞社の支局だろう。駆け出しの新人と作者との二人で、その地域をまかなっている。田舎の町の小さなオフィスで、昼餉のための秋刀魚を焼いている。もうこれだけの道具立てで、いろいろな物語が立ち上がってくるようだ。出世コースからは大きく外れた支局長の作者は定年間近であり、新人にいろいろなノウハウを教えてはいるが、若い彼は近い将来に、必ず手元を離れていってしまう。めったに事件らしい事件も起きないし、いざ起きたとなれば、街の大きな支社から援軍がやってくる段取りだ。新聞記者とはいいながら、あくせく過ごす日常ではない。そんな日常のなかだからこそ、「秋刀魚焼く」という行為がいささかの滑稽さを伴いながらも、鮮やかに浮き上がってくる。このとき、駆け出しの新人はどうしていただろうか。たぶん秋刀魚など焼いたこともないので、感心したようなそうでもないような複雑な顔をして、作者を眺めていたような気がする。小さな支局での小さな出来事。映画の一シーンにでなりそうだ。『彩・円虹例句集』(2008)所載。(清水哲男)


October 01102012

 潜水艦浮かびあがれば雨月なり

                           杉本雷造

降りのために名月が見られないのが「雨月」。曇って見えないことを「無月」と言う。昨夜のように、猛烈な台風のために見られない現象を何と言えばよいのか。「雨月」には違いないけれど、表現としてはいかにも弱い。名月を毎年待ちかまえていて詠む人は多いから、今年はどんな句が出てくるのか。お手並み拝見の愉しみがある。掲句は、月見の句としてはなかなかにユニークだ。まさか潜水艦が月見と洒落る行動に出ることはあるまいが、浮きあがってきた姿がそのように見えたということだろう。あるいは、想像句かもしれない。だが、せっかく期待に胸ふくらませて浮上してみたら、何ということか、海上は無情の雨だった。月見どころか、あたり一帯には雨筋が光っているばかりで、空は真っ暗である。「雨か……」。しばらく未練がましく空を見上げていた潜水艦は、大きなため息のような水泡を噴き出しながら、力なく再び海中に没していったのだった。この潜水艦の間抜けぶりが愉しい。名月の句などは詠まれ尽くされているように思えるが、こういう句を読むと、まだまだ死角はありそうである。『現代俳句歳時記・秋』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)


October 08102012

 菊膾晩年たれも親なくて

                           小林秀夫

畑静塔の「菊膾(きくなます)」の句に「ただ二字で呼ぶ妻のあり菊膾」がある。「二字」とは、もちろん「おい」だろう。長年連れ添った夫婦の、会話もほとんどない静かな夕食だ。作者の前には、つつましやかにお銚子が一本立っている。比べて、掲句はなんとなく一人だけの晩酌の図を想像させる。そういうときでもなければ、あまり自分の「晩年」などは考えない。私もときおり、気がつけばいつしか死ぬことに思いが行っているときがある。べつに寂しいとか哀れとかなどとは思わないけれど、ふっと自然に自分の命の果てを想像してしまうのだ。そういえば、同世代の誰かれもみな「親」は二人とも他界している。そういう年頃になってしまったのだ。次は否応なくこちらの番だなと、ぼんやりとながらも納得せざるを得ない。このところ、そんな思いの繰り返しである。そんなとき作者は、冷たい「菊膾」の舌触りにふと我に帰り、もう一本熱いヤツでもいただくかと、暗い台所に立ってゆく。『未来図歳時記』(2009)所載。(清水哲男)


October 15102012

 秋の海町の画家来て塗りつぶす

                           森田透石

者の気持ちは、とてもよくわかる。秋晴れの日ともなると、我が家の近所の井の頭公園にも、何人もの「画家」たちがやってきて描いてゆく。絵に関心はあるほうだから、描いている人の背後から、よくのぞき見をする。たいがいの人はとても巧いのだけど、巧いだけであって、物足りなさの残る人のほうが多い。でも、なかには写実的でない絵を描く人もいて、巧いのかどうかはわからないが、大胆なタッチの人が多いようだ。作者が見かけたのも、そんな「町の画家」なのだろう。海の繊細な表情などはお構いなしに、あっという間に一色で塗りつぶしてしまった。ぜんぜん違うじゃないか。愛する地元の海が、こんなふうに描かれるとは。いや、こんな乱暴に描かれるのには納得がいかない。さながら自宅に土足で踏み込まれたような、いやーな感じになってしまった。この海のことなどなんにも知らない「町場」の他所者めがと、しばし怒りが収まらなかったに相違ない。まっこと、ゲージュツは難しいですなあ。『現代俳句歳時記・秋』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)


October 22102012

 宿帳は大学ノート小鳥来る

                           中條ひびき

びた土地の小さくて古い旅館だ。「宿帳は大学ノート」だけで、この旅館のたたずまいが目に見えるようである。大きな旅館では和紙を製本するなどした立派な宿帳を備えているが、ここでは代わりに大学ノートを使っている。主人が無頓着というのではなく、旅館全体の雰囲気からして、立派な宿帳では釣り合いが取れないようだからだ。日暮れに近いころ、宿までの道で、作者は渡り鳥の大群を仰ぎ見たのだろう。鳥たちとは道のりの遠近は違っても、いまは我が身もまた同じ渡り者である。鄙びた土地の旅行者に特有の、ある種の心細さもある。そんな我が身がいま、およそ華やかさとは無縁の宿で、大学ノートに名前や住所などを書きこんでいる。物見遊山であろうがなかろうが、旅につきものの、心をふっとよぎるかすかな寂寥感を詠んでいて秀逸だ。掲句には関係ないが、昔フランクフルトの安ホテルに飛び込みで泊ったとき、受付の風采の上がらぬ爺さんが無愛想に突きつけてきたのも大学ノートだった。「フィリピーノ?」と聞くから、ノートに署名すると「おお、ヤパーニッシュ」とにわかに相好を崩し、「もう一度組んで、今度こそアメリカをやっつけよう」と言った。『早稲の香』(2012)所収。(清水哲男)


October 29102012

 若き母の炭挽く音に目覚めをり

                           黒田杏子

載誌では、この句の前に「炭焼いて炭継いで歌詠みし母」が置かれている。だから掲句の炭は、母が焼いたものだ。私が子どもの頃に暮した田舎でも、農繁期を過ぎると、山の中のあちこちの炭窯から煙が上がっていたものである。焼いた炭は、使いやすいように適当にのこぎりで切っておく必要がある。たいして力もいらないから、たいていは女子どもの仕事だった。深夜だろうか。ふと目覚めると、母の炭を切る音が聞こえてきた。このときの子どもの気持ちは、お母さんも大変だなとかご苦労さんというのではなく、そうしたいわば日常化した生活の音が聞こえることで、どこかでほっと安堵しているのだ。とにかく、昔の女性はよく働いた。電化生活など想像すべくもなかった時代には、コマネズミのように働き、そしていつもそれに伴う生活の音を立てていた。たまに母親が寝込んでしまうと、家内の生活の音が途絶えるから、子どもとしてはなんといえぬ落ち着かぬ気分になったものだ。母を追慕するときに、彼女の立てていた生活の音を媒介にすることで、句には大いなる説得力が備わった。「俳句界」(2012年11月号)所載。(清水哲男)


November 05112012

 逝くものは逝き巨きな世がのこる

                           藤木清子

の女流俳人と言われる人が二人いる。一人は敗戦後すぐに句集を出した鈴木しづ子で、もう一人がこの句の作者である藤木清子だ。彼女は日中戦争時代に、日野草城の「旗鑑」や「京大俳句」に句を寄せている。二人とも人目に触れる場所での活動期間は短く、いわば「一閃の光芒を放って消えた短距離ランナー」(宇多喜代子)であり、俳句をやめてからの消息は一切不明のままだ。清子に至っては、写真一枚すら残っていない。句の文字面の意味は明瞭だが、しかし、いまひとつ真意を捉えにくい句だ。それはおそらく「巨きな世」の指し示す世界が、現代の常識とは大きくずれているせいではないかと愚考する。戦前のあの時期で「巨きな世」といえば、たいていの人が思い浮かべたのは万世一系の天皇家を頂点とする「不滅の」世界だったろうからである。兵士などの逝くさだめの者は死んでいくのだけれど、巨きな世は永久に安泰である。皮肉でも風刺でなく、素朴にそういうことを言いたかったのではあるまいか。しかし現代的な感覚で読むと、皮肉が辛辣に利いていて、デスペレートな気分の作者像が浮かんでくる。逆に、この句から「万世一系」の世を思えと言われても、そうはまいらない。時代をへだてての句を読むのは難しい。そのサンプルのような句だと思った。宇多喜代子編著『ひとときの光芒・藤木清子全句集』(2012・沖積舎)所収。(清水哲男)


November 12112012

 こがらしや子ぶたのはなもかわきけり

                           小野敏夫

い読者にはおなじみの句。十二年前の掲示板で作者探しがはじまり、この間多数の読者にご協力をいただきましが不明のままで過ぎてきました。そしてまさにいま「こがらし」の季節に、ようやく土肥あき子さんが突き止めてくれました。詳細については「ZouX」304号をご覧ください。作者が当時の群馬在住だったこともわかり、群馬といえば「上州の空っ風」で有名な土地ですから、句の「こがらし」はさぞや猛烈な勢いで吹いていたことでしょう。敗戦直後のころには、豚を飼っている農家は少なくありませんでした。だから「子ぶた」も、小学生の作者にとっては親しい存在です。登校途中ででも目撃したのでしょうか。可愛い子ぶたたちが、寒さに震えて身を寄せあっている姿が目に浮かんできます。「はなもかわきけり」とは、なかなかに鋭い観察ですね。なお、原句は「凩や小豚の鼻も乾きけり」というものでした。教科書に載せるにあたって、文部省がやさしい表記に改めたのでしょう。どちらが良いとは一概には言えませんが、作者がご健在なら、そのあたりのことも含めてご感想をお聞きしたいと、また新しい欲が湧いてきました。「少国民の友」(1946年4月号)初出。(清水哲男)


November 19112012

 夕日いま忘れられたる手袋に

                           林 誠司

ういうセンチメンタルな句も、たまにはいいな。忘れられている手袋は、革製やレースの大人用のものではない。毛糸で編まれて紐でつながっているような子ども用のそれだろう。どうして、そう思えるのか。あるいは思ってしまうのか。このことは、俳句という文芸を考えるうえで、大きな問題を孕んでいる。つまり俳句はこのときに、どういう手袋であるのが句に落ち着くのか、情景的にサマになるのかを、どんなときにも問うてくる。要するに、読者の想像力にまかせてしまう部分を残しておくのだ。だからむろん、この手袋を大人用のそれだと思う読者がいても、いっこうに構わない。構わないけれど、そう解釈すると、「夕日いま」という配剤の効果はどこにどう出てくるのか。「いま」は冬の日暮れ時である。忘れたことにたとえ気がついても、子どもだと取りに戻るには遅すぎる。すぐに真っ暗になってしまう。そういう「いま」だと思うからこそ、そこにセンチメンタルな情感が湧いてくる。赤い夕日が、ことさら目に沁みてくるのである。『退屈王』(2011)所収。(清水哲男)


November 26112012

 葱提げて急くことのなく急きゐたり

                           山尾玉藻

活習慣というか習い性というものは、一度身についたら、なかなか離れてはくれない。作者は、いつものように夕餉のために葱などを買い、少し暗くなりかけた道をいつものように急ぎ足で家路をたどっている。が、本当はべつに急ぐことはないのである。夕食を共にする人はいないのだから、自分の都合の良い時間に支度をすればよいのだ。なのに、つい腹を空かせた人が待っている頃の感覚のほうが優先してしまい、べつに急(せ)くこともないのに急いている自分に苦笑してしまっている。場面は違うとしても、この種のことに思い当たる人は少なくないだろう。この句からだけではこれくらいのことしか読めないが、実は作者の夫君(俳人・岡本高明氏)がこの夏に亡くなったことを知っている読者には、この苦笑を単なる苦笑の域にとどまらせてはおけない気持ちになる。苦笑の奥に、喪失感から来る悲哀の情が濃く浮き上がってくる。岡本高明氏の句に「とろろ汁すすり泪すことのあり」があるが、作者の別の句には「葱雑炊なんぞに涙することも」がある。「俳句界」(2012年12月号)所載。(清水哲男)


December 03122012

 踏台に乗ること多し年の暮

                           田中太津子

われてみれば、ずばりその通りだ。普段から気になってはいるものの、高いところのものの整理や掃除は、つい億劫でそのままにしてしまう。だが、年の暮ともなると、意を決して踏台に乗るのだが、これが一度手をつけはじめると、なかなか終わらない。あちらの高いところ、こちらの高いところと、踏台を引きずって歩き回ることになる。まさに「年の暮」ならではの行動だ。この句を読んで、すぐに取り換えるべき我が家の蛍光灯を思い出した。もう十年ほど前のことになるだろうか。実家に行ってみると、玄関先の電球が切れていて、やけに暗い。そのことを八十歳を過ぎた母に言ったら、踏台に上がれなくなり交換できないということだったので、私が何の苦もなく付け替えた。老いるとは、たとえば踏台を使えなくなるということか。そのときはふっとそんなことを思ったのだったが、近年はとうとうこちらにお鉢が回ってきてしまった。先日、それこそ電球を交換しようと踏台に上ったら、腰から崩れて踏台ごと転倒する羽目に…。さて、年の暮だ。あの蛍光灯をどうすればよかんべえか。『星の音』(2012)所収。(清水哲男)


December 10122012

 風呂吹や曾て練馬に雪の不二

                           水原秋桜子

うもこの作者は、一句を美々しい絵のように仕立てるのが趣味のようだ。それが悪いというのではないが、私の口にはあまりあわない。この句の勝負どころは、風呂吹(大根)から大根の産地として有名な練馬を連想するところまでは通俗的でどうということはないけれど、後半に何を配するかにかかってくる。私なら通俗ついでに「恋ひとつ」とでもやりたいところだが、秋桜子は大根の白さを「不二(富士)」にまで押し通したつもりか、曾て(かつて)は見えていた雪化粧の富士山を据えている。ここで私には富士山よりも、作者の「どうだ」といわんばかりの顔までが見えるようで鼻白んでしまう。駄句とまでは言わないが、これではせっかくの風呂吹にまつわる人間臭さが飛んでしまっている。つまり、せっかくの風呂吹の味がどこかに失せているのだ。美々しい絵はそれなりに嫌いではないけれど、私は人間臭さの出ている絵のほうが、どうもよほど好きなようである。蟇目良雨『平成 食の歳時記』(2009)所載。(清水哲男)


December 17122012

 忘年や水に浸りてよべのもの

                           山田露結

の台所。昨夜の忘年会で使った食器類が、そのまま水に浸っている。ちゃんと洗って片づけてから休めばよかったのにと思うけれど、疲れてしまって、とてもそんな気力はなかったのだ。それこそあとの祭りである。それにしても、何たる狼藉の跡か。この皿は欠けているけれど、いつどんなことでこうなったのか、何も思い出せない。きっとこんな光景は、毎年のことなのだろう。ある意味では、本番の忘年会よりも、こちらのほうに年の瀬を感じさせられる。「さあ、やっつけるか」と腕まくりをして洗いにかかる。水道の蛇口を全開にして洗いはじめると、今年もいろいろあったなあと、はじめて忘年の思いが胸をかすめはじめるのである。『ホームスウィートホーム』(2012)所収。(清水哲男)


December 24122012

 三越の獅子も老いたりクリスマス

                           増尾信枝

京は日本橋三越本店の正面玄関にあるライオン像だ。待ち合わせ場所として多くの人に利用されている。大正三年に、三越が日本初の百貨店としてルネッサンス式鉄筋五階建ての新店舗となったとき、当時、支配人だった日比翁助のアイデアで、二頭のライオン像が設置されたのが始まりという。三越ファンには年配の女性が多く、待ち合わせている人のなかにも目立つ。まさか青銅の獅子像が老いることはないのだが、いましみじみと見つめていたら、そんな気がしてきたというわけだ。若いころには気にもならなかった獅子の年齢に思いがいったのは、むろん自らの加齢を意識しているからだ。いっしょに歳月を刻んで来たという思いが、不意にわいてきたのだろう。なにか同志のような親愛の念が兆している。歳末の買い物客で混みあう雑踏のなかで、ふと浮き上がってきたセンチメンタルなこの感情は自然である。おそらくそんな思いで、今日この獅子像を見つめている待ち人が、きっといるに違いない。『未来図歳時記』(2009)所載。(清水哲男)


December 31122012

 大晦日御免とばかり早寝せる

                           石塚友二

十一歳の秋に、ラジオのパーソナリティを仰せつかった。早朝番組だったので、以来三十有余年、早寝早起きの生活がつづいている。大晦日とて、例外ではない。この間、除夜の鐘も聞いたことがない。子どもの頃には、大晦日はいつまで起きていても叱られなかったから嬉しかったが、そんなことももう遠い思い出だ。作者が「御免」と言っている相手は、とくに誰かを指しているのではなく、遅くまで起きて年を守っている世間一般の人々に対してだろう。この気持ちは、なんとなくわかる。早寝しようが勝手ではあるものの、いささか世間の常識に外れているような気がして、ちと後ろめたいのである。だから一応、「御免」の気持ちで寝床にもぐり込むことになるのだ。孝子・フォン・ツェルセンという人の句に、「子の去りてすることもなし年の夜」がある。これは今宵の我が家そのもののありようである。そういうわけで、では、御免。みなさまがたには佳いお年をお迎えくださいますように。『合本・俳句歳時記・第三版』(1997・角川書店)所載。(清水哲男)




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