O謔「句

July 0572012

 親殺し子殺しの空しんと澄み

                           真鍋呉夫

月の5日、真鍋呉夫氏が亡くなった。文庫版の句集しか読んだことはないが、俳壇の中にある俳人とは違う時空を広げる句に心惹かれるものがあった。「親殺し」「子殺し」の記事が日々新聞にあふれている。余裕のない世間に孤立しがちな苛立ちを一番身近にいる対象にぶつけ、憎み傷つけてしまう愚かしさ。人を殺めるのは瞬間であっても、一線を越えた後の地獄は文学の中で繰り返し語られてきた。親殺し、子殺しの横行する現代、同時代を生きている誰もが多かれ少なかれ追い詰められた空気を共有している。しかし、そんな人間たちの頭上に広がる空はしんと澄みわたり人間の愚行を見下ろしているようだ。その絶景は、地球を覆う人間がことごとく滅亡した終末の空へとつながっているのかもしれない。『雪女』(1998)所収。(三宅やよい)


July 1272012

 蛍の夜右が男の子の匂ひ

                           喜田進次

もとっぷり暮れて、あたりは真っ黒な闇に包まれてゆく。青白い火が一つ瞬いて、気がつけばあちらにもこちらにも蛍が見えてくる。胸のあたりに並んだ子供の頭がときどき揺れて、汗ばんだ身体や髪から日なたくさい匂いが上がってくる。右側にいるのが男の子だろうか。普段は意識しないけど、そうやって比較すれば女の子の方が涼しげな匂いがしそうな気がする。暗闇にたたずみ蛍に見入っていると闇にいる動物のように五感が鋭くなり、匂いに敏感になるのかもしれない。こんな句を読むと、息をつめて川岸の蛍を見つめている雰囲気がまざまざとよみがえってくる。歓声を交えてざわめく人の声や、湿った草いきれ、川のせせらぎまで聞こえてきそう。今も、蛍は飛び交っているだろうか。いっぱいの蛍が群れてクリスマスツリーのように光る樹を見に行きたい。「家に着くまで夏雲の匂ふなり」「銀行の前がさびしき天の川」『進次』(2012)所収。(三宅やよい)


July 1972012

 暑からむいとしこひしの大阪は

                           守屋明俊

の間オリエンタルカレーの懐かしのパッケージを見つけて思わず買ってしまった。その昔、日曜日の昼と言えばオリエンタルカレー提供の「がっちり買いまショウ」を見ていた。いとし、こいしが司会だった。当時は物足りなかったけど、二人にはやすし、きよしのようなしゃべくり漫才にはない大人の味わいがあった。大阪の暑さは格別で、奥坂まやの句にも「大阪の毛深き暑さ其れを歩む」という句がある。湿気が高くてそよりとも風の吹かない大阪の夏はむうっと息が詰まる暑さだ。しかし掲載句は「暑からむ」と推定になっている。大阪から遠くに離れ、今はいない「いとしこいし」の洒脱な漫才を想うように大阪の粘る暑さを懐かしく思っているのだろう。今年の大阪も暑いだろうか。京都の夏、名古屋の夏、東京の夏、それぞれの都市に似合いの人や事柄を取り合わすことで暑さの受け取り方も変わってきそうだ。『日暮れ鳥』(2009)所収。(三宅やよい)


July 2672012

 音楽で食べようなんて思うな蚊

                           岡野泰輔

ループサウンズ、フォークの時代から音楽はいつだって若者の憧れだ。手始めにギターを買って、コードを覚えれば次にはバンド仲間を募ってレンタルスタジオで音合わせ、次にはライブハウスで、と夢はどんどん膨らんでゆく。学生時代は大目に見ていた親も就職を渋っている子供に「実は音楽で食べていきたいんだけど」なんて告げられると、即座に「音楽で食べようなんて思うな」と言ってしまいそうだ。かっての自分に身に覚えあることだって、子供だと別だ。世間はそう甘くない。お決まりの親の台詞に「蚊」?渋面の父の額にブーンと飛んできた蚊が止まる。それを「あ、蚊」とぺちんと打つその間合いが面白い。文脈から言えば、「音楽で食べようと思うな、喝!」となりそうなところを「蚊」と外すところに妙味がある。『俳コレ』(2011)所載。(三宅やよい)


August 0282012

 馬と陛下映画の夏を通過せり

                           山田耕司

月になると、また数々の戦禍の映像が繰り返しテレビで放映されることだろう。御真影、教育勅語など戦後10年を経て生れた私には遠い出来事にしか思えない。それなのに「陛下」という掲句の言葉に、天皇が白馬に騎乗しゆっくりと画面を通過してゆくシーンが立ちあがる。「陛下」「馬」「夏」という言葉の連鎖がテレビのない時代、暗い映画館で上映されただろう白黒の戦争映画を連想させる。戦争を知らない私にも沖縄の夏、原爆の夏、敗戦の夏と民族の苦しみの歴史が記憶となって残っているのは繰り返される映像があるからだろう。様々な悲劇を巻き起こした戦争。昭和史の記録として焼きつけられた戦争映画の続編がないことを願わずにはいられない。『大風呂敷』(2010)所収。(三宅やよい)


August 0982012

 フクシマで良いのか原爆忌が近い

                           山崎十生

和二十年八月六日広島、八月九日長崎へ原子爆弾が投下された。広島市をヒロシマと表記するのは被爆都市としての広島を表すときで、原水爆禁止運動の中で使われたのが最初のようだ。広島には原爆投下で亡くなった親族、被爆手帳を携えて生きた義父の墓がある。余り多くを語らなかった義父にとって原爆の日が来るたびあの日の惨状を思い出すことは辛かったと思う。福島第一原子力発電所の事故から一年余り、早々と安全宣言をだし大飯原子力発電所の再稼働を決めた国の施策に疑問を感じる。もちろんアメリカ軍によって投下された原爆と今回の原子力の事故を同列に扱うわけにはいかないが、「今回の事故による放射能の直接的影響で亡くなった人は一人もいない」と言ってのける電力会社は原子力という怪物を管理している自覚があるのか。あまりにも無神経な発言に怒りを覚える。掲句では「(ヒロシマやナガサキ同様に)フクシマという表記を使っていいのか」と迷いつつ原爆忌を迎える作者の心の動きが書き留められている。被曝地域の声をなおざりに原子力政策を進める国、じゃあ自分は「フクシマ」とどう向き合うのか、作者のとまどいはそのまま自分に返ってくる。『悠々自適入門』(2012)所収。(三宅やよい)


August 1682012

 来て洗ふ応へて墓のほてりかな

                           星野麥丘人

のごろはロッカー式の墓があったり、墓を作らずに散骨を希望する人も増えているようだが、鬱蒼と茂る樹木に囲まれた墓に参るのもいいものだ。しかし先祖が眠る墓苑では、無縁仏になってしまったのか荒れたお墓も目に付くようになってきた。昔に比べ家族の結びつきが希薄になった現在、墓はいよいよ取り残されてしまうかもしれない。掲句では「来て洗ふ」という表現から心のこもった墓参りの様子が伝わってくる。強い日差しにほてった石のぬくみを手のひらに感じながら丁寧に墓を洗う。墓のほてりが懐かしい人の体温のようだ。たっぷりと水を吸った墓に花を活け、線香をあげてさまざまな出来事の報告をする。水と墓石のほてりの照応に、現世と彼岸との目に見えない交流が感じられる。『星野麥丘人句集』(2003)所収。(三宅やよい)


August 2382012

 瓜ぶらり根性問はることもなし

                           山中正己

リンピックも終わり、銀座ではメダリスト達のパレードもあった。連日の熱戦を楽しませてもらったものの敗れた選手の立場を思うと「大変だなぁ」と思うことたびたびだった。「メダルをとれずにすみませんでした」と泣きながら謝っていた柔道の選手がいたが国の代表になって「根性を問われる」ことはしんどいことだ。その点、ぶらりとぶら下がって風に吹かれる瓜は気楽なものだ。瓜と言ってもいろいろあるが「ぶらり」なのだから胡瓜かヘチマだろうか。支えの棒や組み立てた棚へ蔓をからませて気が付けば「食べてください」とばかりにおいしそうな実をぶらさげている。「根性を問われる」ことも「叱咤激励」されることもなく身を太らせて気楽なものである。掲句がそんな瓜の在り方に羨ましさを感じている作者の気持ちの反映であるとすると、怠け者の私なぞも同感である。『地球のワルツ』(2012)所収。(三宅やよい)


August 3082012

 夏の川ゴールデンタイムちらちらす

                           こしのゆみこ

は追憶の季節でもある。子供のころ当たり前のようにめぐってきた夏休みは退屈であきれるほど時間があった。だからと言って朝から晩までテレビを見たわけではない。あの頃のテレビは劇場の緞帳に似た覆いがかかっていて、好き勝手につけていいものではなかった。子供にチャンネル権はなく、家族がテレビの前に集まって見るゴールデンタイムの番組は夜の楽しいひとときだった。それも今は昔。朝から晩まで番組を流し続けるテレビに高揚感はなくなり、「ゴールデンタイム」はある世代の記憶の中にある時間帯になってしまった。掲句は夏の日を受けてちらちら光る川面を見ているうち「ゴールデンタイム」へ連想が及んだのか。白っぽく光る真空管テレビで見た「ディズニーランド」「鉄腕アトム」「宇宙家族ロビンソン」など子供心を浮き立たせた番組を懐かしく思い出す。あと一日で子供たちにとって至福のときである夏休みも終わってしまう。『コイツァンの猫』(2009)所収。(三宅やよい)


September 0692012

 路地の露滂沱たる日も仕事なし

                           下村槐太

日は白露。日差しはまだまだ厳しいが朝晩は少し涼しくなってきた。昔は大通りの一本裏手に入れば雑草の生い茂る空き地がひょいとあったものだ。まるで涙をたたえるように道そばの草に透明な露が光る。失業してあてどもない身に、あふれんばかりに露を宿した草が圧倒的な勢いで迫ってくる。同時期に作られた失業俳句でも冨澤赤黄男の「美しきネオンの中に失職せり」は職を辞した直後の解放感や高揚感が華やかな孤独となって一句を彩っているようだ。仕事にありつけぬ日々が続けば暮らしは立ちゆかない。あてどない生活の重さが我が身にのしかかってくる。赤黄男の句に較べ槐太の句には生活の重圧と焦燥感が感じられる。作者は職業だけでなく俳句においても流転の人生を歩んだ人だった。「俳句研究」(1976)所載。(三宅やよい)


September 1392012

 招き招ける手はからくりの秋扇

                           森田 雄

さのぶり返しに備えて、仕舞わずに身の傍らに置いている秋扇。無用のものに名残の名前をつける、いかにも俳句らしい季語だと思う。一読、扇を持っておいでおいでと招き寄せているように思うが、招いているのは扇ではなく手。繁華街でキャバレーの呼び込みなどやっているが、あの手の動きだろうか。多分この「秋扇」は無用のもの、時期を過ぎたものという意味的な働きを強調するため置かれているのだろう。理に落ちた見方かもしれないが、季語の情緒的な要素を破壊するため置かれているとも思える。人を迎え入れる心もないのにひらひら人を招き寄せる手。異物化された手がからくり仕掛けの扇となって動くイメージは「秋扇」の語の醸し出す空しさと重なって忘れられない印象が残る。第2次「未定」(2012年94号)所載。(三宅やよい)


September 2092012

 子規逝くや十七日の月明に

                           高浜虚子

規が亡くなったのは明治三十五年九月十九日だった。この句にある十七日は陰暦八月十七日の月という意味だという。夜半過ぎに息を引き取った子規の急を碧梧桐、鼠骨に告げるべく下駄を突っかけて外に飛び出た虚子は澄み切った夜空にこうこうと照る月を見上げる。「十七夜の月は最前よりも一層冴え渡つてゐた。Kは其時大空を仰いで何者かが其処に動いてゐるやうな心持がした。今迄人間として形容の出来無い迄苦痛を舐めてゐた彼がもう神とか仏とか名の附くものになつて風の如くに軽く自在に今大空を騰り(のぼり)つゝあるのではないかといふやうな心持がした」と子規と自分をモデルにした小説『柿二つ』に書きつづっている。子規が亡くなって110年。病床にいながら子規の作り上げた俳句の、短歌の土台の延長線上に今の私たちがいることを子規忌が来るたび思う。講談社「日本大歳時記」(1971)所載。(三宅やよい)


September 2792012

 自転車を盗まれ祭囃子の中

                           山田露結

週、近所の社では秋祭りが行われる。「祭囃子」は歳時記では夏の祭の傍題になっているようだけど、なぜだろう。秋祭りだってぴーひゃらら、と笛、太鼓を鳴らすのだからいいような気がするのだが。神輿が出て、祭囃子も聞こえる人ごみの中で自転車を盗まれ、探し回る心細さ。「自転車泥棒」と言えば有名なイタリアの映画を思うのだけど、うんと小さいころに見たので記憶はおぼろげで雑踏の中で自転車を探してさまようシーンしか思い浮かばない。掲句は「故郷」と題された八句のうちの一句。「海沿いの小さな田舎町に住んでいる。田舎町だからといつて純朴な人たちばかりが暮らしているというわけはない。ここでもやはり人は傲慢で強欲で怠惰で憂鬱で、それゆえに美しいのである」と作者の言葉がある。この句もかの映画のワンシーンのような味わいがある。「彼方からの手紙」(vol.5・2012/8/18)所載。(三宅やよい)


October 04102012

 水澄んで段差になつてをりし父

                           大石雄鬼

に映る自分の姿に見入るのはナルキッソスの話から何らの自意識の投影と思われる。ところがこの句ではその影を「段差になる」と表現している。底まで清らかに澄んでいる水面に映っている父としての自分の影が段差になって見えている。屈折するその影が日常見過ごしている違和感を表しているようだ。父とは母と違いむくわれない存在であるように「母」体験者である自分などは思う。母子は言葉を超えての密着が在るが故、確執も愛憎も激しい。それに比べ「父」は家庭を維持する経済的負担と精神的負担が大きいわりに親密さに置いては蚊帳の外である。「父」という言葉には家族の中での孤独が隠されているように思う。「段差になってをりし父」とそれを見ている自分と突き放して描き出すことで、そこはかとない哀愁を感じさせる。『だぶだぶの服』(2012)所収。(三宅やよい)


October 11102012

 鳥威し雨に沈みてゐるもあり

                           波多野爽波

ちこちの田んぼではもう稲刈りは終わっただろうか。金色に垂れる稲穂を雀などから守るためにピカピカ光る鳥威しが田んぼのあちこちに結わえられている。そのうちの一つが雨に打たれて落ち、そのまま水たまりに浸かっているのだろうか。濡れそぼつ鳥威しがなまなましく感じられる。「鳥威し」が空中にひるがえり鳥を威嚇するものという概念に囚われていると見いだせない現実だ。眼前にある対象を描写しただけに思えるこのような句について語るのは難しいが、そんなとき「無内容、無思想な空虚な壺に水のように注がれて初めて匂い出て来るもの」と言った山本健吉の言葉をふと思い出す。「日本大歳時記」(1985)所載。(三宅やよい)


October 18102012

 友の子に友の匂ひや梨しやりり

                           野口る理

の頃は赤ん坊や幼児を連れている若い母親を見かけることがほとんどない。子供の集まる場所へ縁がなくなったこともあるのだろう。乳離れしていない赤ん坊だと乳臭いだろうから、目鼻立ちも整い歩き始めた幼児ぐらいだろうか。ふっとよぎる匂いに身近にいた頃の友の匂いを感じたのだろう。中七を「や」で切った古風な文体だが、下五の「梨しやりり」が印象的。「匂い」の生暖かさとの対比に梨が持つ冷たい食感や手触りが際立つのだ。「虫の音や私も入れて私たち」「わたくしの瞳(め)になりたがつてゐる葡萄」おおむね平明な俳句の文体であるが、盛り込まれた言葉にこの作者ならではの感性が光っている。『俳コレ』所載。(三宅やよい)


October 25102012

 通称はちんぽこ柿といふさうな

                           西野文代

の年になると「ちんぽこ」なんて言葉を聞いても笑って通りすぎることができるけど若くて気取ってた頃は聞くだけで恥ずかしかった。坪内稔典著『柿日和』によると、柿の名前は同じ品種でも地方によって異なるらしい。調べてみると「ちんぽこ柿」は「珍宝柿」先がとがった筆柿の呼び名のようだ。なんともユニークな名前。少しこぶりのこの柿が籠に5つ、6つ盛られている様子を思うと可愛らしく感じられる。初めてこの名前を知って「そうなん!」と合点した作者の嬉しがりようも伝わってくるようだ。次郎柿、富有柿など数ある柿の名前の一つとして、歳時記の「柿」の項にこの句を置いてみたい。気取りなく、秋を彩る柿の心やすさにぴったりに思える。『それはもう』(2002)所収。(三宅やよい)


November 01112012

 秋真昼島に一つの理髪店

                           鶴濱節子

わやかで透明感のある時間が「秋の昼」の本意だろうか。「本来春昼にたいして作られた季語で、まだ十分熟してはいない。」と平井照敏の「新歳時記」にはある。どのような過程を経て季語に取り入れられたのか詳しいことはわからない。「秋の昼妻の小留守をまもりけり」日野草城 「大鯉のぎいと廻りぬ秋の昼」岡井省二などが例句として載っている。掲句は「秋真昼」なのだからどんぴしゃピントがあってなおかつ非現実な静けさが感じられる。小さな島だとタクシーも一台、何でも置いてある雑貨屋も一軒なんて場所だろうか。とりわけ理髪店などは島の人もたまに利用するぐらいだろうから、店の主人も手持無沙汰にがらんとしているのかもしれない。そんな情景を思うとせかせかした都会とは違い静かに秋が深まってゆく島の時間が豊かに感じられる。『始祖鳥』(2012)所収。(三宅やよい)


November 08112012

 日本海時化をる柿の甘さかな

                           しなだしん

は瀬戸内の端っこにある神戸で育った。瀬戸内の島へ渡るフェリーや海釣りの小型船に乗ったことしかないが、荒れ狂う海を見た覚えがない。大人になって日本海や太平洋の島々へ船で渡る機会も増えたが、驚いたのは少し天候が悪くなると海がその様相を一変させることだった。定期船が欠航になったその日に小さな漁船が木の葉のごとく高波に上下する様を島の浜から眺めているだけで船酔いしそうになった。特に日本海は北西の季節風が吹く冬場なると波高く荒々しい海へ変貌するようだ。「時化をる」とあるから数日同じような海の状態が続いているのだろう。日本海に取り囲まれた佐渡島には「おけさ柿」という高品質の柿がある。柿が甘くなるのと海の時化とは関係がないだろうが掲句を読むと荒波に揉まれることで柿の甘味が増すように感じられる。『隼の胸』(2011)所収。(三宅やよい)


November 15112012

 茶の花やぱたりと暮るる小学校

                           喜田進次

の花は小さな白い花。歳時記によると新たに出来る梢の葉の脇に二つ、三つ咲き出るようだ。「茶の花のとぼしきままに愛でにけり」という松本たかしの句にあるように、生い茂った緑にぽつりぽつりと顔を見せる奥ゆかしさと馥郁とした匂いを好む俳人は多い。今まで歓声をあげて駆け回っていた子どもたちも下校してすっかり静かになった小学校がとっぷり暮れてゆく。「ぱたりと」という表現が突然途絶える賑わいと日の暮れようの両方にかかっている。秋の日は釣瓶落としというけど昼ごろの学校の賑わいと対照的なだけによけい寂しく感じられるのだろう。茶の花の持つ静かで侘びしいたたずまいが小学校の取り合わせによく効いている。『進次』(2012)所収。(三宅やよい)


November 22112012

 冬桜化粧の下は洪水なり

                           渋川京子

桜は文字通り冬に咲く桜。一重で白っぽい色をしている。春先に一斉に花開くソメイヨシノと違いいかにも寂しそうである。冬桜は12月ごろから翌年の1月にかけて咲く花。と歳時記にある。二度咲きの変種ではなくわざわざ寒さの厳しくなる冬に開花するのは人間が自らの楽しみのため人為的に作り出したものだろう。化粧で華やかに装った顔の下に激しく感情の動揺が隠されているのだろうか。化粧で押し隠された思いが「冬桜」に形を変えて託されていると考えられる。「今日ありと思ふ余命の冬桜」中村苑子の句なども「冬桜」のはかなさに自分の在り方を重ねて詠んでいるのだろう。作中主体が作者であると必ずしも言えないが自らの感情を託すのだから、私小説的作り方とも言えよう。『俳コレ』(2011)所載。(三宅やよい)


November 29112012

 鯛焼の余熱大江戸線を出る

                           川嶋隆史

つあつの鯛焼の袋を抱える楽しみはやはり寒くなってくると一段とうれしく感じられる。吉祥寺のハーモニカ横丁にある鯛焼はびっしりと尾まで餡が詰まっているうえ、餡の甘さもほどほどでとてもおいしい。茶色のハトロン紙に挟んだ鯛焼をほくほく食べながらアーケードを歩いている若いカップルをよく見かける。鯛焼は歩きながら食べるのがいい。さて、揚句では「大江戸線を出る」が句の眼目だろう。大江戸線は他の地下鉄の路線よりよっぽど深く掘ってあるのかなかなか地上にたどりつけない。何回もエレベーターを乗り換え蟻の穴から這い出る具合である。そんな地下鉄から寒い街へ出ると、抱えた鯛焼きの余熱がより暖かく感じられる。「大江戸線」と「鯛焼」の言葉の響き具合もいい。鯛焼には「ぐったりと鯛焼ぬくし春の星」西東三鬼の句があるが、これは鯛焼が生ぬるく、おいしくなさそうだ。やはり鯛焼のぬくみは冬に限る。『知音』(2012)所収。(三宅やよい)


December 06122012

 おはやうと言はれて言うて寒きこと

                           榎本 享

村草田男に「響爽かいただきますといふ言葉」がある。厳しい暑さが過ぎて回復してくる食欲、「いただきます」という言葉はいかにも秋の爽かな大気にふさわしい。そんな風に普段何気なく使っている挨拶言葉に似合いの季節を考えてみると、「おはよう」と声を掛け合うのは、きりっと寒い冬の戸外が似つかわしい。「冬はつとめて」と清少納言が言っているとおり、冬を感じさせる一番の時間帯は早朝なのだ。冷えきった朝の大気に息白く、「おはよう」「おはよう」と挨拶を交す。そのあとに続く「寒きこと」は、手をこすり合わせながら自分の中で呟くひとり言なのかも。冷たい空気は身を切るようだが、互いにかけあう「おはやう」の言葉の響きは暖かい。校門に立っている先生が登校してくる生徒に掛ける「おはよう」辻の角で待ち合わせた友達と交わす「おはよう」ガラガラと店を開け始めた人に近所の人が声をかける「おはよう」さまざまなシーンを想像して寒い朝に引き立つこの言葉の響きを楽しんでいる。『おはやう』(2012)所収。(三宅やよい)


December 13122012

 ジーンズに雲の斑のある暖炉かな

                           興梠 隆

の昔、ぱちぱちと燃え上がる暖炉の火を前に寝転んで本を読む。そんなスタイルにあこがれた。薪をくべるという行為はせせこましい都会暮らしでは考えられない贅沢だが、雪深い山荘や北海道あたりでは現役で働いている「暖炉」があることだろう。その暖炉にところどころ白く色の抜けたジーンズが干してある。水色のジーンズに白く抜けた部分を「雲の斑」と表現したことで、句のイメージが空全体へ広がってゆくようで素敵だ。知的な見立てに終わってしまいがちな比喩が豊かな世界への回路になっている。ここから思い出すのは高橋順子さんの「ジーンズ」の詩の一節「このジーンズは/川のほとりに立っていたこともあるし/明けがたの石段に座っていたこともある/瑠璃色が好きなジーンズだ/だから乾いたら/また遊びにつれていってくれるさ」。「暖炉」が醸し出す室内の親和的な暖かさと、屋外の活動着であるジーンズの解放感との取り合わせが絶妙に効いている。つまり言葉の取り合わせにジーンズが伝えてくる昼間の楽しさと夜の暖炉まで時間的、空間的広がりが畳み込まれているのだ。『背番号』(2011)所収。(三宅やよい)


December 20122012

 どこへ隠そうクリスマスプレゼント

                           神野紗希

レンダーを見ると今年のクリスマスは火曜日。今日明日と小さな子供たちが学校や幼稚園へ行っている間にクリスマスプレゼントを買いに行く方も多いかもしれない。会話のはしばしに欲しいものを探り当ててお目当てのものを捜し歩く一日。さあ、うちに帰ってからが大騒ぎ。天袋の中、洋服ダンスの奥?どこへ隠しても子供に見破られそうな気がする。大きなものなら車のトランクに入れたままにしておくほうがいいかもしれない。そのプレゼントを抜き足、差し足でそっと枕元に置くのもドキドキなのだけど、考えてみればとても楽しいイベントだった。「どこへ隠そう」の後に続く言葉は何をおいても「クリスマスプレゼント」以外に考えられない。翌朝子供たちが目覚めてあげる大きな歓声、プレゼントを見せに駆けて来る足音。クリスマスプレゼントにまつわる懐かしい思い出がどっと押し寄せてくる一句だと思う。『新撰21』(2009)所収。(三宅やよい)


December 27122012

 煤逃げにパチンコの玉出るは出るは

                           吉田汀史

月を迎えるために積もり積もった塵や埃を掃きだす「煤払い」いわば年末の大掃除。「煤逃げ」は歳時記によると「煤からのがれるため病人や老幼が別の部屋や他家へ行くこと」とあるが、近年は掃除から逃げるためどこかへ行って時間を潰す意に使われることが多いようだ。ガラスの拭き掃除や車洗いにいそしむご主人様も多いだろうが、大抵の男どもはどこかへ行ってしまう。掲句はバタバタと始まった大掃除に自分からぶらっと外へ出たのだろう。時間つぶしに入ったパチンコ屋で気のない様子で玉をはじいていたら、まぁ何と「出るは」「出るは」チンジャラジャラとあふれるほどに入りだして足元にはぎっしり玉の詰まった箱が積みあがる。そんな風景だろうか。血眼になって勝とうとしてもちっとも出ないのにどうしたことか。予想外の展開に目を丸くしている様子がどこかユーモラスで思わずにやりとしてしまう。『汀史虚實』(2006)所収。(三宅やよい)




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