July 232012
鶏舎なる首六百の暑さかな
佐々木敏光
六百羽もの鶏が鶏舎から首を出して、いっせいに餌を食べている図だ。想像しただけで暑さも暑しである。私が子どもだったころには、こういう光景は見られなかった。そのころはどこでも「平飼い」であり、句のような立体的な鶏舎で飼う方式(バタリー方式)に移行したのは50年代も後半からだったと記憶する。父が購読していた「養鶏の友」などという雑誌で、盛んにバタリー方式が推奨されていたことは知っていたが、まさか平飼いが消滅するとは夢想だにしなかった。この方式では、雌鳥を完全に卵を産む機械とみなしている。一羽あたりの生息面積はA4判くらいしかなく、夜も照明を当てられて産まない自由は奪われている。私のころの夏休みといえば鶏の世話は子どもの役目で、夕暮れどきに散らばっている鶏たちを鶏舎に追い込む苦労も、いまとなっては楽しい思い出だ。鶏は頭がよくないという説もあるが、あれでなかなか個性的であり、一羽一羽に情がうつったものである。が、バタリー方式になってしまっては、そうした交流もかなわない。ただただ暑苦しいだけ……。ヨーロッパあたりでは、この残酷な飼い方を見直す動きが出ていると聞く。『富士・まぼろしの鷹』(2012)所収。(清水哲男)
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