東京に暑さが戻ってきました。まだ蝉の声は聞いていませんが。(哲




2012ソスN7ソスソス24ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 2472012

 冷房が眼帯の紐揺らしをり

                           森 篤史

粉症の蔓延に伴ってマスク姿はすっかり見慣れたが、眼帯には依然あたりの目を引くような存在感が残っている。小中学生時代には、眼帯やギブスなどに対して奇妙な憧れがあり、冴えない生徒にスポットライトが当たるように、その白さがまぶしく見えたものだ。とはいえ、いざ自身への装着となると、視界を奪われる不自由さは、日常生活の細部に渡り、厄介きわまりない。距離感のもどかしさを他の五感が補おうと、ひりひりと敏感なっているのかもしれない。掲句の紐とは、眼帯を調整したのちの余った部分が耳の後ろに下がる。冷房のわずかな風になびく紐の感触さえ違和感を覚え、これにより、冷房も単なる空調設備ではない存在となった。身体に密着しながら、いつまでも異物を発し続ける眼帯というキーワードが、ここでも妙に魅力的に映るのだった。「古志青年部年間作品集」(2012)所載。(土肥あき子)


July 2372012

 鶏舎なる首六百の暑さかな

                           佐々木敏光

百羽もの鶏が鶏舎から首を出して、いっせいに餌を食べている図だ。想像しただけで暑さも暑しである。私が子どもだったころには、こういう光景は見られなかった。そのころはどこでも「平飼い」であり、句のような立体的な鶏舎で飼う方式(バタリー方式)に移行したのは50年代も後半からだったと記憶する。父が購読していた「養鶏の友」などという雑誌で、盛んにバタリー方式が推奨されていたことは知っていたが、まさか平飼いが消滅するとは夢想だにしなかった。この方式では、雌鳥を完全に卵を産む機械とみなしている。一羽あたりの生息面積はA4判くらいしかなく、夜も照明を当てられて産まない自由は奪われている。私のころの夏休みといえば鶏の世話は子どもの役目で、夕暮れどきに散らばっている鶏たちを鶏舎に追い込む苦労も、いまとなっては楽しい思い出だ。鶏は頭がよくないという説もあるが、あれでなかなか個性的であり、一羽一羽に情がうつったものである。が、バタリー方式になってしまっては、そうした交流もかなわない。ただただ暑苦しいだけ……。ヨーロッパあたりでは、この残酷な飼い方を見直す動きが出ていると聞く。『富士・まぼろしの鷹』(2012)所収。(清水哲男)


July 2272012

 土用鰻店ぢゆう水を流しをり

                           阿波野青畝

余りは、うなぎの長さでしょうか。注文してから待たされる時間の長さもありましょうか。暑いから、うなぎを大量にさばくから、「水を流しをり」なのでしょう。「ぢゆう」を眺めていると、うなぎの形にみえてきます。この数日間、非常に切ない思いでいます。掲句をずっと考えているわけですが、うなぎが食いたい、今日はうなぎを食いに行こう、国分寺に鰻屋はあるだろうか、仕事で横須賀に行っても鰻屋を探す始末。ついには旧知の鰻屋のおかみさんにメールで、この、日本民族をこの時期に熱狂させる、この、うなぎの魅力と魔力は何なのだ?と問いかけましたが、一笑に付されました。なお、このおかみさんはなかなかの美人で、諏訪にある鰻屋の女将さんも美しく、中野の鰻屋の女将さんは、張りのある元、美少女です。うなぎを食っているから美女になるのか、鰻屋の主人は、美女を口説くのがうまいのか、たぶん、後者だと今気づきました。鰻を食っているから、アレですよ。ところで、私は、過去五年間で、五回、鰻屋で鰻を食っています。ちょうど、一年に一度。だから、この一期一会が強く記憶に残ります。その匂い、白いご飯と、赤茶けたタレ、それに染まった焦げてふんわりした身のふくよかに、あぶらのしるがじんわり口中に広がりとどきます。世界中で収穫される鰻の八割が、日本人の胃袋に収まるそうです。この時期、無性に食べたくなる日本のハレの食文化、土用の丑の伝統を作った平賀源内は天才です。そして、もう一人の天才、赤塚不二夫は、ある日、犬のキャラクターを考えていたときに、当時の少年マガジンの編集者が「ああ、、今日は土用、、鰻が食いたいーー」と言った声を聞いて、名作「ウナギイヌ」を創作したのでした。「日本大歳時記・夏」(1982講談社)所載。(小笠原高志)




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