猛暑がつづいています。身の置きどころに困っております。(哲




2012ソスN7ソスソス28ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 2872012

 炎天のふり返りたる子どもかな

                           藤本美和子

天の句でありながら不思議と、ぎらぎらと暑くてどうしようもないという感覚よりも、ふり返ったその子の背景にいつか見た青空と雲の峰が広がってくるような、なつかしさ感じさせる。切り取られた一瞬から遠い風景が思い起こされるのは、炎天の、の軽い切れのためか、ふり返る、という言葉のためか、夏という季節そのもののせいなのか。同じ作者に〈炎天のかげりきたれる辻回し〉という祇園祭を詠んだ句もあり、こちらはまさに酷熱の日中の空、昨年訪れた祇園祭の熱気と活気を思い出させる。いずれの句にも、確かな視線から生まれた饒舌でない投げかけが、余韻となってじんわりと広がってくるのを感じる。『藤本美和子句集』(2012)所収。(今井肖子)


July 2772012

 草の中滑走路は取り返しがつかない

                           上月 章

が自然で滑走路が文明というふうに対比させ、対峙させると草は良い役で滑走路が悪役という図式になるのか。いつも自然は文明に蹂躙されるということか、そんな簡単な句なのか。どうもちょっと違うような気がする。制空権を取るために、また日本本土爆撃を可能にするためにサイパン島は死闘の島となった。この島を獲るのは滑走路をつくって日本を爆撃するためだ。東京大空襲の爆撃機はこの島の滑走路から飛び立ったのだった。そんな戦略としての「取り返しのつかなさ」の方が現実感をもって読める。滑走路を原発に換えて考えたらというような読みに僕は価値を置かない。『感性時代の俳句塾』(1988)所載。(今井 聖)


July 2672012

 音楽で食べようなんて思うな蚊

                           岡野泰輔

ループサウンズ、フォークの時代から音楽はいつだって若者の憧れだ。手始めにギターを買って、コードを覚えれば次にはバンド仲間を募ってレンタルスタジオで音合わせ、次にはライブハウスで、と夢はどんどん膨らんでゆく。学生時代は大目に見ていた親も就職を渋っている子供に「実は音楽で食べていきたいんだけど」なんて告げられると、即座に「音楽で食べようなんて思うな」と言ってしまいそうだ。かっての自分に身に覚えあることだって、子供だと別だ。世間はそう甘くない。お決まりの親の台詞に「蚊」?渋面の父の額にブーンと飛んできた蚊が止まる。それを「あ、蚊」とぺちんと打つその間合いが面白い。文脈から言えば、「音楽で食べようと思うな、喝!」となりそうなところを「蚊」と外すところに妙味がある。『俳コレ』(2011)所載。(三宅やよい)




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