オリンピックなど、どうでもよろしい。阪神をなんとかせねば。(哲




2012ソスN8ソスソス3ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 0382012

 お祭りに行くと絶対はさんする

                           阿部順一郎

学生がつくった句というのを目にするが、どうも嘘くさいのもある。発想と書き方を親が手伝ったんじゃないかと思わせる句があるのだ。親や教師が手伝うと往々にして切れに「ね」や「よ」がリズミカルに入る。形を整えるアドバイスはまあ仕方ないとしても発想が従来の俳句観に沿っていたり、ありきたりの「童心」のごときものを見せられるとがっかりする。大人から見た「童心」と子供の本心は違うんじゃないか。子供には大人の想像もつかないような発見や奇想が詰ってるんじゃないかと思うけど、逆にそれが過大な幻想なのか。この句は正真正銘小学生の感慨に思える。大人がアドバイスしたら「はさん」は出ないだろう。もう一度小学生に戻れたらこんな奴と親友になりたい。毎日楽しいだろうな。絶対東大には行けないだろうけど。『平成23年度NHK全国俳句大会入選作品集』(2011)所載。(今井 聖)


August 0282012

 馬と陛下映画の夏を通過せり

                           山田耕司

月になると、また数々の戦禍の映像が繰り返しテレビで放映されることだろう。御真影、教育勅語など戦後10年を経て生れた私には遠い出来事にしか思えない。それなのに「陛下」という掲句の言葉に、天皇が白馬に騎乗しゆっくりと画面を通過してゆくシーンが立ちあがる。「陛下」「馬」「夏」という言葉の連鎖がテレビのない時代、暗い映画館で上映されただろう白黒の戦争映画を連想させる。戦争を知らない私にも沖縄の夏、原爆の夏、敗戦の夏と民族の苦しみの歴史が記憶となって残っているのは繰り返される映像があるからだろう。様々な悲劇を巻き起こした戦争。昭和史の記録として焼きつけられた戦争映画の続編がないことを願わずにはいられない。『大風呂敷』(2010)所収。(三宅やよい)


August 0182012

 鰻屋の二階客なき焼け畳

                           矢野誠一

を扱った落語はいろいろある。「鰻の幇間(たいこ)」は調子のいい幇間が、路上で行きあった旦那(幇間には誰だか思い出せない)に冴えない鰻屋に誘われ、最後はとんでもないことになるという傑作。通された二階の座敷には、直前まで店の婆さんが昼寝していたり、窓にオムツが干してあったり、床の間の掛軸は二宮金次郎の絵、酒盃の絵は日章旗と軍旗のぶっ違いだったり、キツネとタヌキが相撲を取っていたり、お新香は薄切りで肝腎の鰻は硬くて噛み切れない……畳も焼けてしまっているだろう。落語評論家でもある誠一は、そんな「鰻の幇間」をどこかにイメージして詠んだのかもしれない。こぎれいでよく知られた老舗などとは、およそほど遠い風情を物語る「焼け畳」。いや、ともすると絶品の鰻をもてなす隠れた店なのかもしれないし、客も少ないから畳は焼けたまま、それを取り替える気配りもやる気もない店なのかもしれない。今年の「土用の丑の日」は七月二十七日だった。平賀源内か太田南畝が考えた出した風習だ、という伝説がある。先頃、アメリカがワシントン条約により、鰻の国際取引の規制を検討しているというニュースが報じられた。ニッポンやばい! ならばというので、賢いニッポン人が、サンマやアナゴ、豚バラ肉の蒲焼きを「代替品」として売り出し人気を呼んでいるらしい。そんなにしてまで鰻にこだわるかねえ? 誠一の夏の句に「趣味嗜好昼寝の夢も老いにけり」がある。『楽し句も、苦し句もあり、五・七・五』(2011)所載。(八木忠栄)




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