高齢者向け配食サービスに試食を申し込んでみた。(哲




2012ソスN8ソスソス11ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 1182012

 さざなみの形に残る桃の皮

                           金子 敦

本古来の桃の実は小粒で、産毛が密生していて毛桃と呼ばれ〈苦桃に戀せじものと思ひける〉(高濱虚子)などと詠まれているが現在、桃といえば白桃、色といい形といい、はにかむように優しく、甘くてみずみずしい果実の代表だ。その皮は、実が少し硬めだと果物ナイフで、熟していると指ですうっとはがすように剥けるが、この句の場合はナイフで剥いたのだろう。皮の薄さとところどころに残る果実の水気で、林檎や梨とは違う静けさを持って横たわる皮、そこにさざなみの形を見る感覚は、桃の果実同様みずみずしい。〈無花果の中に微細な星あまた〉〈なんでもないなんでもないと蜜柑むく〉など果物をはじめ、食べ物の佳句が印象的な句集『乗船券』(2012)より。(今井肖子)


August 1082012

 アッツの照二仔猫をまこと怖がりし

                           野宮猛夫

ッツの照二だけで、第二次大戦で日本軍が全滅したアッツ島にいた照二という兵隊であることが思われる。それ以外の展開はアッツの照二から僕は想像できない。最後の一兵まで突撃して生存者は1パーセント。だから屈強の兵だったことだろう。そのつわものが仔猫を怖がった。面白い。面白いが悲しい。おもしろうてやがて悲しきである。ほんとうに照二さんはいたのだろう。フィクションだったら山田洋次になれる。この句に並んで同じ作者の「くつなわ首に捲く照三も野に逝けり」がある。くつなわはくちなわのこと。自身の北海道訛がそのまま句になった。この二句がある限り照二と照三は忘れられることはない。確かに二人はこの世界に存在したと、読む者が確認する。「週刊俳句」(2011年4月24日号)所載。(今井 聖)


August 0982012

 フクシマで良いのか原爆忌が近い

                           山崎十生

和二十年八月六日広島、八月九日長崎へ原子爆弾が投下された。広島市をヒロシマと表記するのは被爆都市としての広島を表すときで、原水爆禁止運動の中で使われたのが最初のようだ。広島には原爆投下で亡くなった親族、被爆手帳を携えて生きた義父の墓がある。余り多くを語らなかった義父にとって原爆の日が来るたびあの日の惨状を思い出すことは辛かったと思う。福島第一原子力発電所の事故から一年余り、早々と安全宣言をだし大飯原子力発電所の再稼働を決めた国の施策に疑問を感じる。もちろんアメリカ軍によって投下された原爆と今回の原子力の事故を同列に扱うわけにはいかないが、「今回の事故による放射能の直接的影響で亡くなった人は一人もいない」と言ってのける電力会社は原子力という怪物を管理している自覚があるのか。あまりにも無神経な発言に怒りを覚える。掲句では「(ヒロシマやナガサキ同様に)フクシマという表記を使っていいのか」と迷いつつ原爆忌を迎える作者の心の動きが書き留められている。被曝地域の声をなおざりに原子力政策を進める国、じゃあ自分は「フクシマ」とどう向き合うのか、作者のとまどいはそのまま自分に返ってくる。『悠々自適入門』(2012)所収。(三宅やよい)




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