g@句

August 1582012

 胃カメラをのんで炎天しかと生く

                           吉村 昭

日は敗戦記念日。「8.15以後」という言葉・認識を日本人は永久に忘れてはならない。さらに、今や「3.11以後」も風化させてはなるまい。くり返される人間の歴史の愚かさを見つめながら、生き残った者たちは「しかと生」きなければならない。昭は五十歳の頃から俳句を本格的に作りはじめた。結核の闘病中でも俳句を読んで、尾崎放哉に深く感動していたという。掲句は検査か軽い病いの際に詠んだ句のようだが、炎天の真夏、どこかしら不安をかかえてのぞむ胃カメラ検査。それでも「しかと生く」と力強く、炎天にも不安にも負けまいとする並々ならぬ意志が表現されている。四回も芥川賞候補になりながら受賞できなかった小説家だが、そこいらの若造受賞作家などには太刀打ちできない、実力派のしっかりとした意志が、この句にはこめられているように思われる。胃カメラ検査は近年、咽喉からでなく鼻腔からの検査が可能になり、とてもラクになった。昭には他に「はかなきを番(つがひ)となりし赤蜻蛉」があり、死後に句集『炎天』(2009)がまとめられた。(八木忠栄)


January 1212014

 親しきは酔うての後のそば雑炊

                           吉村 昭

しい友と気がねなく盃を酌み交わし、いい感じで酔いが回った最後のしめにそば雑炊を注文する。これは、ある程度年かさのいった男達の句である。女子会ならば、しめにはデザートを注文するだろう。しかし、おじさん達は気もちよく飲むと、そば雑炊のようなしめを欲する。これは、生理的な欲求に近い。皆、一致団結してそば雑炊を注文し、ずるずる音をたててかき込み、男達の飲み会はお開きになるのである。だから、下腹も出てくるだろう。新年会のシーズンである。当方もしめはそば屋であった。それにしても、そば雑炊とは贅沢だ。自分で作ってもみたいが、これは、品のよい料理屋で出てくる一品だろう。なお、優れた小説を数多く残した吉村昭は、学習院大学時代、岩田九郎先生の「奥の細道」の授業中、「今日もまた桜の中の遅刻かな」と書いた紙を教壇の机に置いたというエピソードを、奥方の津村節子が書いている。岩田先生は、むしろご機嫌だったとも。「炎天」(2009)所収。(小笠原高志)




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