かつてないほどの超弩級台風来襲。沖縄のみなさま、大丈夫ですか。(哲




2012ソスN8ソスソス27ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 2782012

 人人よ旱つづきの屋根屋根よ

                           池田澄子

いかわらずの旱(ひでり)つづきで、げんなりしている。冷房無しのせいあるが、団扇片手に昼寝をきめこんでもあまり眠れず、なんだか「ただ生きているだけ」みたいな感じだ。この句は、みんながまだ冷房の恩恵に浴していなかった昔の情景を思い起こさせる。小津安二郎が好んで描いた東京の住宅街は、まさにこんなふうであった。ビルもそんなにはなく、「屋根屋根」は平屋か二階建ての瓦屋根だ。それらが夏の日差しのなかにあると、嫌でも脂ぎったような発色となり、ますます暑い気分が高じてくる。白昼ともなれば、往来には人の影もまばらだ。「人人」はいったいどうしているのかと、ついそんなことが気になってしまうのだった。それでもどこの「家家」の窓も開いているから、ときおりどこからかラジオの音が流れてきたりする。ああ「人人」は健在だなと、ほっとしたりしたのも懐かしい。『たましいの話』(2005)所収。(清水哲男)


August 2682012

 かなかなや川原に一人釣りのこる

                           瀧井孝作

(ひぐらし)、かなかなの鳴き声は、金属音のように響きます。夏の終わりの夕刻の空に向かって、楽器の音色とは違った、ぜんまい仕掛けのようなメカニックな音を響き渡らせます。作者は、終日、釣りつづけていたのでしょう。「川原」と表現しているので、中流か下流の広い川原で、鮎でも釣っていたのでしょうか。気づくと、さっきまで点在していた釣り人が、誰一人としていなくなっている。自分だけがとり残されてしまった。豊漁ならばさっさと竿をたためるが、たぶん、釣果はかんばしくなく、竿をたたむにたためず、日が暮れかかるや空にかなかなが響き渡って、我に返った図。その金属的な鳴き声は、川原の石にも響き渡るようで、空っぽのびくが寂しい。小 学校のと きの居残りの気分に似て、大人の居残りとはこんな感じでしょうか。あるいは、夏休みも終わりに近づいて、まだ宿題がたくさん残っているような、そんな屈託でしょうか。夕刻の空に川原に広がるかなかなの鳴き声を、自嘲ぎみに聞いているところが大人です。「日本大歳時記・秋」(1981・講談社)所載。(小笠原高志)


August 2582012

 蜩やどこにも行けぬ観覧車

                           輿梠 隆

周して戻ってくるだけの乗り物、観覧車。同じ一周でも縦に回ると、空に近づいて戻って来る分、結局どこにも行けない、という気分になるのだろうか。ただ、蜩のかなかなかなという音色は、観覧車にまとわりつく感傷よりくっきりとして、淋しい。そう思うと、ただそこで回るばかりの観覧車自身がどこにも行けないなのか、という気がしてくる。先日横浜で水上バスから見た、意外にうすっぺらいその横顔?を思い出しながら、今日もあちこちでただただゆっくり動いている大小さまざまな観覧車を思い浮かべている。『背番号』(2011)所収。(今井肖子)




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