あまりの暑さに「ただ生きてる状態」だった八月が終わります。(哲




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August 3182012

 秋草や妻の形見の犬も老い

                           本井 英

句といえど自己表現なんだから他者と自己との識別をこころがけていくべきだ云々、僕が口角泡を飛ばして言ったとき聞いていた本井さんがぽつりと言った。「あなたは自己、自己っていうけど人はやがてみんな死ぬんだよ」。本井さんは少し前に奥方を亡くされていたのだった。死生観を踏まえての俳句の独自性を彼は「虚子」の中に見出した。平明で秋草という季節の本意もまことに生かされている。妻は泉下に入り犬は老い秋はまた巡ってきた。俳句の身の丈に合った述懐であることはよくわかる。この句はこれでいい、しかしと僕は言いたいのだが。『八月』(2009)所収。(今井 聖)


August 3082012

 夏の川ゴールデンタイムちらちらす

                           こしのゆみこ

は追憶の季節でもある。子供のころ当たり前のようにめぐってきた夏休みは退屈であきれるほど時間があった。だからと言って朝から晩までテレビを見たわけではない。あの頃のテレビは劇場の緞帳に似た覆いがかかっていて、好き勝手につけていいものではなかった。子供にチャンネル権はなく、家族がテレビの前に集まって見るゴールデンタイムの番組は夜の楽しいひとときだった。それも今は昔。朝から晩まで番組を流し続けるテレビに高揚感はなくなり、「ゴールデンタイム」はある世代の記憶の中にある時間帯になってしまった。掲句は夏の日を受けてちらちら光る川面を見ているうち「ゴールデンタイム」へ連想が及んだのか。白っぽく光る真空管テレビで見た「ディズニーランド」「鉄腕アトム」「宇宙家族ロビンソン」など子供心を浮き立たせた番組を懐かしく思い出す。あと一日で子供たちにとって至福のときである夏休みも終わってしまう。『コイツァンの猫』(2009)所収。(三宅やよい)


August 2982012

 ラムネ飲んでその泡のごと別れたる

                           和田博雄

ムネの泡は一挙に激しく盛りあがるけれど、炭酸ゆえにたちまち消えてしまう。この場合の「別れ」はいかなる事後の別れなのかわからない。しかし、ラムネの泡のごとくあっさりしたものなのだろう。ビールの泡のごとき別れだったら、事情はちがってくる。博雄が下戸だったかどうかは知らないが、この別れは男同士ではなく、男と女の別れと解釈したほうが「ラムネ」が生きてくる。それはあまり深刻なケースではなかったのかもしれないし、逆に深刻の度を通り越していたとも考えられるけれど、それ以上に「別れ」をここで詮索する必要も意味もあるまい。このごろのラムネ瓶はプラスチック製だから、振っても音がしないのが口惜しい。博雄は吉田内閣で農林大臣や国務大臣をつとめ、のちに左派社会党の書記長をつとめたことでも知られる。俳句の上で博雄とつき合いのあった安藤しげるは「和田さんは、後に政界をスッパリ引退し、俳句三昧に遊び……」と書いている。西東三鬼の句に「ラムネ瓶太し九州の崖赤し」がある。安藤重瑠『戦渦の疵を君知るや』(2012)所載。(八木忠栄)




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