梅雨でもないのに洗濯のタイミングが難しい。突然の豪雨は困る。(哲




2012ソスN9ソスソス6ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 0692012

 路地の露滂沱たる日も仕事なし

                           下村槐太

日は白露。日差しはまだまだ厳しいが朝晩は少し涼しくなってきた。昔は大通りの一本裏手に入れば雑草の生い茂る空き地がひょいとあったものだ。まるで涙をたたえるように道そばの草に透明な露が光る。失業してあてどもない身に、あふれんばかりに露を宿した草が圧倒的な勢いで迫ってくる。同時期に作られた失業俳句でも冨澤赤黄男の「美しきネオンの中に失職せり」は職を辞した直後の解放感や高揚感が華やかな孤独となって一句を彩っているようだ。仕事にありつけぬ日々が続けば暮らしは立ちゆかない。あてどない生活の重さが我が身にのしかかってくる。赤黄男の句に較べ槐太の句には生活の重圧と焦燥感が感じられる。作者は職業だけでなく俳句においても流転の人生を歩んだ人だった。「俳句研究」(1976)所載。(三宅やよい)


September 0592012

 天の川の下に残れる一寺かな

                           永田青嵐

詞に「浅草寺」とある。おっとりと左に浅草寺を見て、右に東京スカイツリーを眺望しているという、今どきの呑気な図ではない。「一寺」は関東大震災後の焦土のなかに、どっかりと残った浅草寺のことなのだ。掲句は「震災雑詠」として大正13年「ホトトギス」に34句発表されたなかの一句。大震災後の暗澹とした精神にとって、夜空に悠揚と横たわる天の川は恨めしくも、またどこかしら気持ちのうえで救いになっていたのかもしれない。天変地異の後にあっても、天の川は何事もなかったかのように流れている。「残れる一寺」もせめてもの救いであろう。しかも作者青嵐は、大正12年の関東大震災当時の東京市長だった。未曾有の大被災を蒙った地の首長として、雑泳にこめられた感慨はいかばかりだったか。もちろん俳人然として惨状をただ詠んでいたのではなく、復興作業の陣頭で奔走していた。ところで、「3.11」の復興に奔走しながら、詩歌をひそかに心に刻んだ今どきの首長はいたのだろうか? 都知事は何と言ったか! 青嵐(秀次郎)は東京市長を二期つとめ、68年の生涯に2万句を残した。多産の役人俳人だった。他に「震災忌我に古りゆく月日かな」がある。加藤郁乎『俳の山なみ』(2009)所載。(八木忠栄)


September 0492012

 照らし合ふことなき星や星月夜

                           片山由美子

の光は太陽のように自ら発しているものと、地球や月のように太陽の光を反射させているものがある。掲句の通り、天体の光はあくまで一方通行なのだ。星月夜とは、月のない晩、満天に広がる星がまるで月明かりのように輝いている様子をいう。星の光がいつ放たれたかという光年の時間と距離は、およそ想像の及ばないものだが、それでも10億光年の距離にある星の光は10億年たたないと地球に届かないと言われれば、その途方もなさに目がくらむ。手を伸ばせば指先に触れるように輝く星が、現在という時間には存在しないのかもしれない不思議。宇宙を目のあたりにしたとき、人は思わずわが身のあまりのささやかさに呆然となったり、あるいは広大なロマンと夢を紡いでしまいがちだが、掲句は満天の星の孤独を観照した。照らし合うことのない星は真実でありながら、うっかりすると啓蒙や比喩に傾いてしまうところを、下五の星月夜があくまで清らかに広がる天球を引き連れてきてくれる。『香雨』(2012)所収。(土肥あき子)




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