今年の「秋分の日」は、1896年以来116年ぶりの22日だそうです。(哲




2012ソスN9ソスソス22ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 2292012

 夕月の砂山に呼び出されたる

                           佐藤鬼房

日が旧暦八月七日、六日月ということなので、ここ数日の月がいわゆる夕月。ただでさえ夕暮れからしばらくしか見えないが、今年は台風の影響もありここまでなかなか遭遇できなかったのではないか。そんな夕暮れの砂山に呼び出されたのだ、なんだかどきどきする。見渡す限りの砂の上にあるのは二人の影とそれを見下ろす夕月、聞こえるのはひたすらな潮鳴りと、確かな人の息づかいだ。砂山を指で掘ったらまっかに錆びたナイフが埋まっていた、と歌っていたのは石原裕次郎だけれど、覆いつくしているようでいて、いつか風がすべてを晒してしまうかもしれない砂。絶えず動いているその砂の流れの果ては静かに濡れて、しんとした海にも育ちつつある月が漂っていることだろう。「新日本代歳時記 秋」(2000・講談社)所載。(今井肖子)


September 2192012

 洞窟夜会 赤葡萄酒に 現世の声

                           伊丹公子

まれた地について知識などぬきにしてこの一句だけで見ると、「洞窟夜会」とはなんて素敵な造語だろう。岩肌が蝋燭の火で見えるような背景でのパーティだ。雪を掘って作ったかまくらの中に灯を置くのは日本版夜会。これと同じようなものか。異国だから着てるものも派手。肌の色と服の色と葡萄酒の赤がお似合いだ。こんなところに入りこんだらそれこそ夢か現かわけのわからない心境になるに違いない。声も外国の言葉で意味が不明なところが「現世の声」という違和感を誘発している。かまくらもいいけどこんな場所にも迷いこんでみたい。『伊丹公子全句集』(2012)所収。(今井 聖)


September 2092012

 子規逝くや十七日の月明に

                           高浜虚子

規が亡くなったのは明治三十五年九月十九日だった。この句にある十七日は陰暦八月十七日の月という意味だという。夜半過ぎに息を引き取った子規の急を碧梧桐、鼠骨に告げるべく下駄を突っかけて外に飛び出た虚子は澄み切った夜空にこうこうと照る月を見上げる。「十七夜の月は最前よりも一層冴え渡つてゐた。Kは其時大空を仰いで何者かが其処に動いてゐるやうな心持がした。今迄人間として形容の出来無い迄苦痛を舐めてゐた彼がもう神とか仏とか名の附くものになつて風の如くに軽く自在に今大空を騰り(のぼり)つゝあるのではないかといふやうな心持がした」と子規と自分をモデルにした小説『柿二つ』に書きつづっている。子規が亡くなって110年。病床にいながら子規の作り上げた俳句の、短歌の土台の延長線上に今の私たちがいることを子規忌が来るたび思う。講談社「日本大歳時記」(1971)所載。(三宅やよい)




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