October 012012
潜水艦浮かびあがれば雨月なり
杉本雷造
雨降りのために名月が見られないのが「雨月」。曇って見えないことを「無月」と言う。昨夜のように、猛烈な台風のために見られない現象を何と言えばよいのか。「雨月」には違いないけれど、表現としてはいかにも弱い。名月を毎年待ちかまえていて詠む人は多いから、今年はどんな句が出てくるのか。お手並み拝見の愉しみがある。掲句は、月見の句としてはなかなかにユニークだ。まさか潜水艦が月見と洒落る行動に出ることはあるまいが、浮きあがってきた姿がそのように見えたということだろう。あるいは、想像句かもしれない。だが、せっかく期待に胸ふくらませて浮上してみたら、何ということか、海上は無情の雨だった。月見どころか、あたり一帯には雨筋が光っているばかりで、空は真っ暗である。「雨か……」。しばらく未練がましく空を見上げていた潜水艦は、大きなため息のような水泡を噴き出しながら、力なく再び海中に没していったのだった。この潜水艦の間抜けぶりが愉しい。名月の句などは詠まれ尽くされているように思えるが、こういう句を読むと、まだまだ死角はありそうである。『現代俳句歳時記・秋』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)
August 032015
火薬工場の真昼眼帯の白現われ
杉本雷造
こういう句に出会うと、おそらくは人一倍反応してしまうほうだ。父親の仕事の関係でしばらく、花火工場の寮に暮していたことがあるからだ。花火といえば、この時季がかき入れ時。と同時に、事故の多発期。いまよりもずっと脆弱な管理体制下にあった昔の花火工場では、真夏の事故には、いわば慣れっこ、ああまた「ハネたか」という具合であったが、ときには死者も出る。飛び散った肉片を集めるために、警官達が割りばしをもって右往左往していた姿は忘れられない。そんな環境の工場に白い眼帯をした者が現れたら、誰しもが事故と結びつけて反応してしまう。このような反応は、その職場によってさまざまだろうが、その怪我が工場とは無関係なことがわかったあとでも、「よせやい、この暑いのに」と笑ってすますまでにはちょっと時間がかかる。無季に分類せざるを得ないが、私の中では夏の句として定着している。『現代俳句歳時記・無季』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)
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