オスプレイ配備に物も言えない内閣なんて改造したって同じこと。(哲




2012ソスN10ソスソス2ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 02102012

 七草に入りたきさまの野菊かな

                           原 石鼎

和10年10月1日、東京日日新聞夕刊で「新秋七草の賦」を連載した。当時の名士7名にそれぞれ1種の秋の草花を挙げてもらい、菊池寛「コスモス」、与謝野晶子「白粉花」、辻永「秋海棠」、斎藤茂吉「曼珠沙華」、長谷川時雨「雁来紅」、高浜虚子「赤のまんま」、牧野富太郎「菊」で新秋の七草が決定した。当時の名士が推挙し、毎週自選の弁が掲載され、のちに女子学生へのアンケートなども行った人気を博した企画であったが、現在ほとんど知られていないのは、やはり七種の草花がてんでばらばらに個性を発してしまうからで、七草が互いに通い合う風情が大きく欠落しているからだろう。唯一の救いは「菊」が入っていることだ。掲句の初出は明治36年11月3日の山陰新聞、石鼎17歳、新聞初入選の作品である(『頂上の石鼎』)。精鋭作家として注目されながら、なにごとも思いの叶わなかった石鼎に「富太郎先生が菊を七草にお入れになりました」と手を取ってお伝えした弟子は果たしていたのだろうか。秋の花をひとつ。あなたなら何を選びますか?『花影』(1937)所収。(土肥あき子)


October 01102012

 潜水艦浮かびあがれば雨月なり

                           杉本雷造

降りのために名月が見られないのが「雨月」。曇って見えないことを「無月」と言う。昨夜のように、猛烈な台風のために見られない現象を何と言えばよいのか。「雨月」には違いないけれど、表現としてはいかにも弱い。名月を毎年待ちかまえていて詠む人は多いから、今年はどんな句が出てくるのか。お手並み拝見の愉しみがある。掲句は、月見の句としてはなかなかにユニークだ。まさか潜水艦が月見と洒落る行動に出ることはあるまいが、浮きあがってきた姿がそのように見えたということだろう。あるいは、想像句かもしれない。だが、せっかく期待に胸ふくらませて浮上してみたら、何ということか、海上は無情の雨だった。月見どころか、あたり一帯には雨筋が光っているばかりで、空は真っ暗である。「雨か……」。しばらく未練がましく空を見上げていた潜水艦は、大きなため息のような水泡を噴き出しながら、力なく再び海中に没していったのだった。この潜水艦の間抜けぶりが愉しい。名月の句などは詠まれ尽くされているように思えるが、こういう句を読むと、まだまだ死角はありそうである。『現代俳句歳時記・秋』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)


September 3092012

 秋蝶や遠のくものに雲一つ

                           中堂高志

蝶に、はっとしています。季節はずれのちょっとした驚きを、切れ字の「や」から読みとれます。秋蝶の羽は薄く、飛び方はおぼつかなく、初蝶の予感にくらべてもののあはれを感じさせますが、これは、見る側の心のもちようの表れでもあるでしょう。ところで、「遠のくもの」とは何なのでしょうか。秋蝶とも、雲一つとも、ほかのものともとれます。この句の面白さはここにもあって、視聴者参加型の双方向TV番組のように、「遠のく[もの]」は、鑑賞者が自由に解答し、いくつもの正解を許容する空欄補充問題です。私が入試の出題者なら、「次の俳句を読んで、『遠のくもの』とは何を指すかを述べなさい」という問題を作ります。センチメンタルな受験生なら、「遠のくものとは、自分の過去、過去に愛した人、愛した土地、郷愁」と答えるでしょうし、理系の受験生なら、「遠のくものとは太陽。地軸の傾きと太陽の運行によって、日照時間は短くなり、気温は低下していき、それが秋蝶の運動能力の低下と、秋の雲の密度の稀薄さの要因となっている」と答えるでしょう。美大受験生なら設問を無視して、「近景の秋蝶は紋白蝶、遠景の雲は蝶と不即不離の構図でパース(遠近感)を作り、白とグレーの遊びのあるグラデーションに動きがあって、俳句は美術たり得る。」と興奮し、最後に音大受験生。「掲句を音符としてとらえると、上五は、a音から始まりa音で終わり、明るく始まっています。切れ字の『や』が、『あ!』と、口を開けています。ところが、中七以下は、toonokumononikumohitotsuで、12音中7音が「o」、3音が「u」で、口を閉じぎみにすぼめています。「遠のくもの」は、時間的には過去であり、空間的には刻々と変化する雲一つであり、近景の蝶に対する新鮮な驚きの明るさと、遠景の雲に対する内省的にめり込んだまなざしを、音標化しています。」私が採点者なら、どれも正解にしたいところですが、出題者と作者には、ずれもよくあります。作者、中堂高志さんは、今春、『モーツァルト、遊びの空間』(神泉社)を上梓された文芸評論家。この本、楽しい読書の時間でした。「菜の花句集」(2002・書肆山田)所収。(小笠原高志)




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