改造内閣で同年代の大臣はただひとり。それだけの話ですが…。(哲




2012ソスN10ソスソス3ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 03102012

 高曇り蒸してつくつく法師かな

                           瀧井孝作

い暑いと私たちを悩ませた夏も、秋の気配がしのび寄れば法師蝉と虫の音の世界に変わり、ホッと一息。とにかく日本の夏は、蒸し暑いのだからたまらない。今年は九月半ばを過ぎても、連日気温30度以上の夏日を記録した。以前、沖縄の気温は年間を通じて関東より10度前後高かったのに、今年は沖縄より東京など東日本が1〜3度高い日が少なくなかった。私は「群馬や埼玉の人は沖縄へ避暑に行ったら?」などと呟いていた。日本列島はやはり熱帯化しつつあるのでしょうか。「高曇り」は空に高くかかった雲で曇っている様子の意味。法師蝉が鳴く秋になっても、曇って湿気が高い陽気は誰もが経験している。せめてもの救いは法師蝉が、きちんと声の「務め」を果たしてくれていることだろう。気をつけて聞けば、「ジュジュジュ……オーシンツクツク……ツクツクオーシ……ジー」と四段階で鳴いている。私の故郷では「ツクツクオーシ」を「カキ(柿)クッテヨーシ」と聞いて、柿を食べはじめていい時季とされている(その時季は必ずしも正確ではないようだが)。『和漢三方図絵』には「鳴く声、久豆久豆法師といふがごとし」とある。三橋鷹女には「繰言のつくつく法師殺しに出る」という物騒な句がある。虫の居所が悪かったのか、よほどうるさかったのだろう。平井照敏『新歳時記・秋』(1996)所収。(八木忠栄)


October 02102012

 七草に入りたきさまの野菊かな

                           原 石鼎

和10年10月1日、東京日日新聞夕刊で「新秋七草の賦」を連載した。当時の名士7名にそれぞれ1種の秋の草花を挙げてもらい、菊池寛「コスモス」、与謝野晶子「白粉花」、辻永「秋海棠」、斎藤茂吉「曼珠沙華」、長谷川時雨「雁来紅」、高浜虚子「赤のまんま」、牧野富太郎「菊」で新秋の七草が決定した。当時の名士が推挙し、毎週自選の弁が掲載され、のちに女子学生へのアンケートなども行った人気を博した企画であったが、現在ほとんど知られていないのは、やはり七種の草花がてんでばらばらに個性を発してしまうからで、七草が互いに通い合う風情が大きく欠落しているからだろう。唯一の救いは「菊」が入っていることだ。掲句の初出は明治36年11月3日の山陰新聞、石鼎17歳、新聞初入選の作品である(『頂上の石鼎』)。精鋭作家として注目されながら、なにごとも思いの叶わなかった石鼎に「富太郎先生が菊を七草にお入れになりました」と手を取ってお伝えした弟子は果たしていたのだろうか。秋の花をひとつ。あなたなら何を選びますか?『花影』(1937)所収。(土肥あき子)


October 01102012

 潜水艦浮かびあがれば雨月なり

                           杉本雷造

降りのために名月が見られないのが「雨月」。曇って見えないことを「無月」と言う。昨夜のように、猛烈な台風のために見られない現象を何と言えばよいのか。「雨月」には違いないけれど、表現としてはいかにも弱い。名月を毎年待ちかまえていて詠む人は多いから、今年はどんな句が出てくるのか。お手並み拝見の愉しみがある。掲句は、月見の句としてはなかなかにユニークだ。まさか潜水艦が月見と洒落る行動に出ることはあるまいが、浮きあがってきた姿がそのように見えたということだろう。あるいは、想像句かもしれない。だが、せっかく期待に胸ふくらませて浮上してみたら、何ということか、海上は無情の雨だった。月見どころか、あたり一帯には雨筋が光っているばかりで、空は真っ暗である。「雨か……」。しばらく未練がましく空を見上げていた潜水艦は、大きなため息のような水泡を噴き出しながら、力なく再び海中に没していったのだった。この潜水艦の間抜けぶりが愉しい。名月の句などは詠まれ尽くされているように思えるが、こういう句を読むと、まだまだ死角はありそうである。『現代俳句歳時記・秋』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)




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