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October 08102012

 菊膾晩年たれも親なくて

                           小林秀夫

畑静塔の「菊膾(きくなます)」の句に「ただ二字で呼ぶ妻のあり菊膾」がある。「二字」とは、もちろん「おい」だろう。長年連れ添った夫婦の、会話もほとんどない静かな夕食だ。作者の前には、つつましやかにお銚子が一本立っている。比べて、掲句はなんとなく一人だけの晩酌の図を想像させる。そういうときでもなければ、あまり自分の「晩年」などは考えない。私もときおり、気がつけばいつしか死ぬことに思いが行っているときがある。べつに寂しいとか哀れとかなどとは思わないけれど、ふっと自然に自分の命の果てを想像してしまうのだ。そういえば、同世代の誰かれもみな「親」は二人とも他界している。そういう年頃になってしまったのだ。次は否応なくこちらの番だなと、ぼんやりとながらも納得せざるを得ない。このところ、そんな思いの繰り返しである。そんなとき作者は、冷たい「菊膾」の舌触りにふと我に帰り、もう一本熱いヤツでもいただくかと、暗い台所に立ってゆく。『未来図歳時記』(2009)所載。(清水哲男)




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