戦力外通告選手一覧を眺めていると、こちらも気が沈んでくる。(哲




2012ソスN10ソスソス9ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 09102012

 朝刊に夕刊重ね鳥わたる

                           峯尾文世

ンターネットの普及により新聞の発行部数は年々下降しているというが、真新しい新聞を開く心地よさは個人的には手放せない。朝刊、夕刊、そしてまた朝刊。掲句は日々の積み重ねが新聞の嵩となり、時間の流れを目に見えるかたちで想像させる。朝夕変化する世界情勢や、喜怒哀楽を含めた事件が盛り込まれた新聞は、脆弱な人間社会を凝縮しているものだ。秋に渡る鳥は、昼間の暑さを避けるため、夜間に飛行する種が多い。星の位置や、地磁気で方位を定め、昔から同じように旅を繰り返している。鳥たちが幾世代に渡ってつちかってきた思慮深さに引きかえ、人間はなんと愚かな行為を繰り返しているのだろう。今朝も胸ふたぐニュースが飛び込む。振り切るように新聞をめくれば、それは思いがけず鳥のはばたきにも似た音を立てるのだった。〈打つよりも引く波音のはつむかし〉〈秋晴れが鏡のなかにしか見えぬ〉『街のさざなみ』(2012)所収。(土肥あき子)


October 08102012

 菊膾晩年たれも親なくて

                           小林秀夫

畑静塔の「菊膾(きくなます)」の句に「ただ二字で呼ぶ妻のあり菊膾」がある。「二字」とは、もちろん「おい」だろう。長年連れ添った夫婦の、会話もほとんどない静かな夕食だ。作者の前には、つつましやかにお銚子が一本立っている。比べて、掲句はなんとなく一人だけの晩酌の図を想像させる。そういうときでもなければ、あまり自分の「晩年」などは考えない。私もときおり、気がつけばいつしか死ぬことに思いが行っているときがある。べつに寂しいとか哀れとかなどとは思わないけれど、ふっと自然に自分の命の果てを想像してしまうのだ。そういえば、同世代の誰かれもみな「親」は二人とも他界している。そういう年頃になってしまったのだ。次は否応なくこちらの番だなと、ぼんやりとながらも納得せざるを得ない。このところ、そんな思いの繰り返しである。そんなとき作者は、冷たい「菊膾」の舌触りにふと我に帰り、もう一本熱いヤツでもいただくかと、暗い台所に立ってゆく。『未来図歳時記』(2009)所載。(清水哲男)


October 07102012

 口あれば口の辺深し秋の暮

                           永田耕衣

田耕衣という名は、俳句に親しむより前の学生時代に、時折耳にしていました。夜の酒場で割箸の袋に耕衣の句を記されて、「これ、わかるか?」と問われたりして、わかるような、わからないような時間を、結構愉しんだおぼえがあります。なかでも、舞踏家・大野一雄氏の直筆舞踏原稿集『dessin』(小林東編/緑鯨社・1992)の中に、数回にわたって「手のひらというばけものや死の川」(「死の川」はママ、句集『闌位(らんい)』では「天の川」となっている)が、力強い黒マジックの筆跡で書かれていて、大野氏の舞踏作品の源流に耕衣の句があることが示されています。さて、掲句は昭和45年『闌位』(俳句評論社)に、「口在れば口辺に荒し秋の雨」と一緒に所収されています。「口の辺(へ)深し秋の暮」は、寡黙な人物の口の辺(へり)を鉛筆でデッサンしたような深みがあり、閉じている口の陰に奥行きを感じます。一方、「口辺に荒し秋の雨」は、饒舌な人物の口と口の周辺を映像化したような動きを感じます。夕暮には空間の静けさがあり、雨には音を伴うからでしょう。この二句は、芭蕉の「物いへば唇寒し秋の風」をふまえていると思います。これは、前書に「人の短(所)をいふ事なかれ。己が長(所)をとくなかれ」とあるように教訓的です。それに対して「口在れば」の二句は、口は閉じているか開いているか、静か動か、そのいずれかであることは確かなことで、教訓はなく即物的で、この三句のみの比較なら、耕衣に軍配を上げます。(小笠原高志)




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