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2012ソスN10ソスソス10ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 10102012

 志望校東京芸大赤蜻蛉

                           向坂 穣

年はオトナばかりでなく、小中学生もさかんに俳句を作っていることは周知の通り。うちの孫(小学生)も「こんな俳句つくったよ……」と言って、いくつも披露してくれることがあって、慌ててしまう。あな、おそろしや。さて、高校生の俳句大会と言えば、恒例になった「俳句甲子園」である。今井聖によると「神奈川大学全国高校生俳句大会」も大きい大会だという。各地に各種の大会があるようだ。上記二つの大会で高い評価を得た句に「夏雲や生き残るとは生きること(佐々木達也)」とか「未来もう来ているのかも蝸牛(菅千華子)」などがあるようだ。いずれも偏差値の高い高校の生徒の句だという。うーん、私に言わせれば、一言「若いくせに、嘆かわしい!」。そこへいくと掲句は、いかにも受験生らしい気持ちが素直に表現されていて、好もしい。受験を控えた一度限りの切実な青春句だが、この場合「赤蜻蛉」が救いになっている。赤蜻蛉にこだわっているところからすると、彼は芸大の美術学部あたりを志望していたのかーーそんなことまで想像させてくれる。若い緊張感と不安が赤蜻蛉を見るともなく見ているようだし、赤蜻蛉も合格を応援して視界を飛んでいるのかもしれない。今井聖『部活で俳句』(2012)所載。(八木忠栄)


October 09102012

 朝刊に夕刊重ね鳥わたる

                           峯尾文世

ンターネットの普及により新聞の発行部数は年々下降しているというが、真新しい新聞を開く心地よさは個人的には手放せない。朝刊、夕刊、そしてまた朝刊。掲句は日々の積み重ねが新聞の嵩となり、時間の流れを目に見えるかたちで想像させる。朝夕変化する世界情勢や、喜怒哀楽を含めた事件が盛り込まれた新聞は、脆弱な人間社会を凝縮しているものだ。秋に渡る鳥は、昼間の暑さを避けるため、夜間に飛行する種が多い。星の位置や、地磁気で方位を定め、昔から同じように旅を繰り返している。鳥たちが幾世代に渡ってつちかってきた思慮深さに引きかえ、人間はなんと愚かな行為を繰り返しているのだろう。今朝も胸ふたぐニュースが飛び込む。振り切るように新聞をめくれば、それは思いがけず鳥のはばたきにも似た音を立てるのだった。〈打つよりも引く波音のはつむかし〉〈秋晴れが鏡のなかにしか見えぬ〉『街のさざなみ』(2012)所収。(土肥あき子)


October 08102012

 菊膾晩年たれも親なくて

                           小林秀夫

畑静塔の「菊膾(きくなます)」の句に「ただ二字で呼ぶ妻のあり菊膾」がある。「二字」とは、もちろん「おい」だろう。長年連れ添った夫婦の、会話もほとんどない静かな夕食だ。作者の前には、つつましやかにお銚子が一本立っている。比べて、掲句はなんとなく一人だけの晩酌の図を想像させる。そういうときでもなければ、あまり自分の「晩年」などは考えない。私もときおり、気がつけばいつしか死ぬことに思いが行っているときがある。べつに寂しいとか哀れとかなどとは思わないけれど、ふっと自然に自分の命の果てを想像してしまうのだ。そういえば、同世代の誰かれもみな「親」は二人とも他界している。そういう年頃になってしまったのだ。次は否応なくこちらの番だなと、ぼんやりとながらも納得せざるを得ない。このところ、そんな思いの繰り返しである。そんなとき作者は、冷たい「菊膾」の舌触りにふと我に帰り、もう一本熱いヤツでもいただくかと、暗い台所に立ってゆく。『未来図歳時記』(2009)所載。(清水哲男)




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