あったか〜い缶コーヒーを魅入られたように買ってしまう季節。(哲




2012ソスN10ソスソス23ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 23102012

 つづれさせ終りを変ふる物語

                           石井薔子

づれさせとは「綴刺蟋蟀(つづれさせこおろぎ)」のこと。リッリッと鳴くごく一般的なこおろぎだが、昔の人は「綴刺せよ」と冬支度をうながす声に聞いていた。掲句の「終りを変ふる」とは、物語を読み聞かせながら、ふと悲しい結末を変えてしまうということか。たとえば「人魚姫」のディズニー版のように。原作では人間になるため美しい声と引き替えに足をもらい、最後は海の泡となってしまう悲劇だが、一転ディズニー映画の「リトル・マーメイド」となると、人魚姫は王子と結婚し「そしてふたりは幸せに暮らしました」で終わる。アンデルセンの物語を読んで「どうしてわかってあげないの、王子さまのばか」と涙ぐんだ少女たちの夢が叶ったわけだ。「フランダースの犬」や「マッチ売りの少女」にもハッピーエンド版があるそうだ。あからさまに不幸を避ける風潮もどうかと思うが、たしかに悲しい結末を口にしたくない夜もある。つづれさせの切れ目ない鳴き声が、じきに近づく冬の気配を引き連れてくる。〈集まりて一族わづか曼珠沙華〉〈人形にそれぞれの視野秋の昼〉『夏の谿』(2012)所収。(土肥あき子)


October 22102012

 宿帳は大学ノート小鳥来る

                           中條ひびき

びた土地の小さくて古い旅館だ。「宿帳は大学ノート」だけで、この旅館のたたずまいが目に見えるようである。大きな旅館では和紙を製本するなどした立派な宿帳を備えているが、ここでは代わりに大学ノートを使っている。主人が無頓着というのではなく、旅館全体の雰囲気からして、立派な宿帳では釣り合いが取れないようだからだ。日暮れに近いころ、宿までの道で、作者は渡り鳥の大群を仰ぎ見たのだろう。鳥たちとは道のりの遠近は違っても、いまは我が身もまた同じ渡り者である。鄙びた土地の旅行者に特有の、ある種の心細さもある。そんな我が身がいま、およそ華やかさとは無縁の宿で、大学ノートに名前や住所などを書きこんでいる。物見遊山であろうがなかろうが、旅につきものの、心をふっとよぎるかすかな寂寥感を詠んでいて秀逸だ。掲句には関係ないが、昔フランクフルトの安ホテルに飛び込みで泊ったとき、受付の風采の上がらぬ爺さんが無愛想に突きつけてきたのも大学ノートだった。「フィリピーノ?」と聞くから、ノートに署名すると「おお、ヤパーニッシュ」とにわかに相好を崩し、「もう一度組んで、今度こそアメリカをやっつけよう」と言った。『早稲の香』(2012)所収。(清水哲男)


October 21102012

 風に立つそのコスモスに連帯す

                           大道寺将司

者の状況を知ることによって、五七五で書かれた言葉は、きわめて限定された視野から成立していることがわかる場合もあります。作者は「連続企業爆破事件」で1975年に逮捕され、1987年に死刑が確定し、現在、獄中で闘病生活を送っています。今年三月に上梓された句集のあとがきに、「毎年季節の変わり目になると同じような句を詠んでしまいます。直裁的且つ即物的に反応してしまうのです。死刑囚として監獄に拘禁されているため自然に触れる機会が少なく、(略)獄外で過ごした時間が長くはなかったため、かつてなしたこと、見聞したことが季節の変化と結びついて色褪せずに記憶されているからだとも言えるでしょうか。」掲句は2000年の作ですが、コスモスを詠んだ句は他に四句あり、「ひたぶるにコスモス揺れていたりけり」(2002年)「風立ちててんでに戦(そよ)ぐ秋桜(あきざくら)」(2006年)「揺るぎても付きて離れぬ秋桜」(2009年)「右を向き左に靡(なび)く秋桜」(2011年)。東京拘置所は改築されてから窓に目かくしがほどこされたので、記憶の中によみがえるコスモスを断続的に詠むことになるのでしょう。私も作者同様釧路で生まれ育ったので、冷たい潮風に揺れるコスモスの記憶があります。『棺一基 大道寺将司全句集』(2012)所収。(小笠原高志)




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