肌寒くなってきましたね。暖房を一度入れるとクセになるからなあ。(哲




2012ソスN11ソスソス3ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 03112012

 ゆく秋やふくみて水のやはらかき

                           石橋秀野

起きてまず水をコップ一杯飲むことにしている。ここしばらくは、冷蔵庫で冷やしておいた水を飲んでいたが今朝、蛇口から直接注いで飲んだ。あらためて指先の冷えに気づいて冬が近づいていることを実感したが、中途半端に冷え冷えし始める今頃が一番気が沈む。そんな気分で開いた歳時記にあった掲出句、朝の感覚が蘇った。そうか行く秋か、中途半端で気が沈むなどと勝手な主観である。井戸水なのだろう、口に含んだ瞬間、昨日までとどこか違う気がしたのだ。思ったより冷たく感じなかったのは冷えこんで来たから、という理屈抜きで、ふとした一瞬がなめらかな調べの一句となっている。ひらがなの中の、秋と水、も効果的だ。三十九歳で病没したという作者、『女性俳句集成』(1999・立風書房)には掲出句を挟んで〈ひとり言子は父に似て小六月〉〈朝寒の硯たひらに乾きけり〉とあり、もっと先を見てみたかったとあらためて思う。『図説俳句大歳時記 秋』(1964)所載。(今井肖子)


November 02112012

 終刊の号にも誤植そぞろ寒

                           福田甲子雄

植は到るところに見られる。気をつけていても出てしまう。僕も第一句集の中の句で壊のところを懐と印刷してしまった。その一冊をひらくたび少し悔やまれる。自分の雑誌で投句の選をしているので誤字、脱字、助詞の用法などを直したつもりでいると作者からあとで尋ねられたりする。大新聞と言われる紙面に誤植を見ることはめったにないが、それでもたまに見つけるとなぜかうれしくなる。終刊の号にも誤植がみつかる。誤植は人間がやることの証。業のようなものだ。月刊「俳句」(2012年6月号)所収。(今井 聖)


November 01112012

 秋真昼島に一つの理髪店

                           鶴濱節子

わやかで透明感のある時間が「秋の昼」の本意だろうか。「本来春昼にたいして作られた季語で、まだ十分熟してはいない。」と平井照敏の「新歳時記」にはある。どのような過程を経て季語に取り入れられたのか詳しいことはわからない。「秋の昼妻の小留守をまもりけり」日野草城 「大鯉のぎいと廻りぬ秋の昼」岡井省二などが例句として載っている。掲句は「秋真昼」なのだからどんぴしゃピントがあってなおかつ非現実な静けさが感じられる。小さな島だとタクシーも一台、何でも置いてある雑貨屋も一軒なんて場所だろうか。とりわけ理髪店などは島の人もたまに利用するぐらいだろうから、店の主人も手持無沙汰にがらんとしているのかもしれない。そんな情景を思うとせかせかした都会とは違い静かに秋が深まってゆく島の時間が豊かに感じられる。『始祖鳥』(2012)所収。(三宅やよい)




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